本文へ移動
TORENDIA

法然行伝

本文約65,400字 ・ 読了時間 約131分

あらすじ(AIが作成しました)

美作国の漆時国の子として生まれた勢至丸は、父を夜討ちで失う悲劇に見舞われる。遺言に従い俗世を離れ仏門に入ることを決意した勢至丸は、叡山へ登り本格的な修業を始める。その類稀なる才覚で頭角を現した彼は、後に法然上人として浄土教の教えを広め、武士から僧侶まで幅広い階層の人々を念仏の道へと導いていく。本書は、その波乱に満ちた生涯と、彼に帰依し往生を遂げた門弟たちの行状を記した伝記である。

中里介山

🎧 まだ音声版はありません

リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 82

一

法然上人は美作の国、久米の南条稲岡庄の人である。父は久米の押領使、漆の時国、母は秦氏である。子の無いことを歎いて夫婦が心を一つにして仏神に祈りをした。母の秦氏が夢に剃刀を呑むと見て身ごもりをした。父の時国が云うのに、

お前が孕める処定めてこれは男の子であって一朝の戒師となる程の者に相違ないと。

母の秦氏は心が柔和で、身に苦しみがない。堅く酒肉五辛を断って三宝に帰する心が深かった。

遂に崇徳院の御宇長承二年四月七日の午の正中に母の秦氏悩むことなくして男の子を生んだ。その時紫の雲が天にそびえ、邸のうち、家の西に元が二肢あって末が茂り、丈の高い椋の木があった。そこへ白幡が二旒れ飛んで来て、その梢に懸った。鈴の音が天に響き、いろいろの光りが日に輝いたが、七日経つと天に昇って了った。見るもの聞く人、不思議の思いをなさないものはなかった。それからその木を両幡の椋の木と名をつけた。年を経て傾き古くなったけれど、この椋の木は異香が常に薫じ、奇瑞が絶ゆることがない。後の人この地を崇めて誕生寺と名づけ、影堂を造って念仏の道場とした。

生れた処の子供の名を勢至丸[#ルビの「せいしまる」は底本では「せしまる」]とつけた。竹馬の頃から性質が賢く、聖人の様である。ややもすれば西の方の壁に向っている癖があった。天台大師の子供の時分の行状によく似ている。

父の時国の先祖をたずねると、仁明天皇の御後、西三条右大臣(光公)の後胤式部太郎源の年というものが陽明門で蔵人兼高というものを殺した。その罪に因って美作の国へ流されたのである。そしてこの国の久米の押領使神戸の大夫漆の元国の娘と結婚して男の子を生ませた。元国には男の子がなかったから、二人の間に出来た外孫をもって自分の子としてその後を嗣がせる時に源の姓を改めて漆の盛行と名付けた。盛行の子が重俊、重俊の子が国弘、国弘の子が時国という順である。

中里介山の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本