思ひ出した事(松竹座)
本文約3,400字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
松竹座の芝居を観劇する作家は、舞台の面白さに馴染めず、かつて学生時代に不良学生として芝居の音や容貌を眺めていた頃の心境へ回帰しようと試みる。懐かしい役者の姿や「日本橋」の記憶を辿るうちに、異国へ渡った友との過去のロマンチシズムと現在の心境を交錯させ、観劇の感想を綴る。演劇を通じた自己の回想と、遠く離れた友人への手紙という形式で、虚実が入り混じる観劇の余韻を描き出す随筆である。
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芝居を見るのは、何年振りのことだ。然も自ら切符を買ふこともせず、加けに文章を書く目的で芝居へ来るなんて、まつたく始めての経験だ。
だから私は、眼を皿のやうにして、凝つと「芝居」を見たことだつた。行儀の悪い私はあんなにジツとして芝居を見た覚えは皆無のことだ。何だか私自身が、突然役者になつて無理矢理に舞台の上におし出されたやうな感もした。誇張して云へば――。
さういふ私だつたから、その私の芝居、見方はたしかに遠慮深く、寧ろ愚かしい謙遜に囚はれてゐたに相違ない。――だが不幸なことには芝居は面白くなかつた。何としても面白くなかつた。馬鹿/\しくて仕様がなかつた。この次の幕は? この次の幕は? さう思ひながら私は昼から到々夜の部の大詰まで見通してしまつた。
あまり面白くないので、その熱心な観劇の途中で、不図私は斯んな気を起した。――
「此方が何か不自然な心持で見てゐるだらうか。私に批評を求めてゐるわけでもないのだ。感想がなければ、強ひて書く必要もないんだらう。……馬鹿な! そんなに尤もらしい顔をして見てゐるなんて! 笑はれるぞ! この若年なドンキホーテ奴!」
と我と自らを嘲つて見た。そして一寸気分を改めた筈で――(それがまたおそらく私をして反省の及ばぬ変な観劇者にならしめたのだつたかも知れない。何としても救はれぬ一人の見物人である。高い処からは相変らず「喜多村ツ!」「伊井ツ!」などゝいふ声もかゝり、見渡せばそこの見物席には涙も、笑ひも感嘆の色も相当漂ふてゐるのに――。私はさういふ一人であるべき筈だ。さういふ一人として見た感想でいゝんだ。)――それで、学生時分学校をすつぽかして、他に行く処もないので、高田実だの、喜多村緑郎だの、井上正夫だのを、脚本なんては何でも関はない、それらの人々の容貌を眺め、音声を耳にするだけの目的でやつて来た頃の無智なる不良学生に、自らを返らせようと計つたのである。