料理一夕話
本文約8,700字 ・ 読了時間 約18分
あらすじ(AIが作成しました)
料理について論じる随筆。著者は、料理は単なる栄養摂取ではなく、自然の理法に従い素材の妙を活かす芸術であると説く。多人数での賑やかな宴会を避け、自分自身で素材を吟味し調理することの重要性を強調する。既成概念や他人の評価に惑わされることなく、自身の食欲に素直に従い、静かに食と向き合う姿勢を理想とする。また、調理人の無知による素材の浪費を戒め、真の食通として美食の道を究めるための厳格な視座と覚悟を綴る。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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料理の話? 君、料理の話をしたってムダだよ。たとえば、かつおぶしでだしを取るとか、昆布でだしを取るとか言っても、かつおぶしにも昆布にも種類があり、良否があり、取り方にも口で言えないコツがある。竹内栖鳳は、門人に教えて、出来るだけ丁寧に写生をすること、それから出来るだけ筆を抜いて写生すること、それから後は「悟り」だと言ったそうだが、料理もつまり「悟り」だ。
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砂糖は何匁、味酬どのくらい、と言ったって、そのコツが分るものではない。僕に言わせると、料理屋の料理は美味くないと言えるね。料理はせいぜい五人以下で味わうべきもので、ほんとう言うと、私がつくる、あなたが食う――つまり、さしで行かなければ、ほんとうには味わえない。
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第一「味の素」なんか出来たのでいけない。なんの料理も「味の素」の味になってしまった。料理人気質のやつに言わせると、手前で味をつけられないでどうする、と言ったふうで、「味の素」なんか使わなかったものだが、この頃は誰でも「味の素」でごまかしてしまう。困ったものだね。
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僕が料理を始めた動機かね。どちらかと言えば、料理は昔から好きだったね。美味い不味いが判る方だったらしく、子どもの時から家の食膳に上るものを、いつも批評していたらしく、美味いとか不味いとか言ってたらしいね。一度くらい黙って食べたらいいだろうと、よく母なんかに注意されたものだ。
料理屋に言わせても、塩さばの鑑定はむずかしいものだが、僕は子どもの時から、どれが美味い塩さばかすぐ判った。しかし、むろん料理屋になるつもりなんかなかった。
僕が若い頃、東京へ出て来て、岡本一平のお父さんに世話になったことがあるが、ある時、一平と僕を並べて、「お前たち金があったらどんな道楽をするね」と言われて、「陶器をいじってみたいと思います」と答えたのを覚えている。一平はこの時、「人間は一生の大半を寝て暮すのだから、布団だけは道楽したい」と答えた。そんなふうで、料理などは頭になかった。
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