個性
本文約2,600字 ・ 読了時間 約6分
あらすじ(AIが作成しました)
福井県の小学校教師との散歩を機に、教育や料理における「型」の功罪を論じる。習得した技術に満足して型にはまることの危険性を指摘し、既存の基準や模倣に頼るのではなく、自らの努力と経験を通じて独自の道を見出すことの重要性を説く。さらに、食材の良さを活かす料理と同様に、人間もまた誰かと比較することなく、自分自身の資質を理解し、その個性を尊重して生きるべきであると読者に実践を促す。
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ある晴れた日の午後であった。と、こう書き出しても、芥川賞をもらうつもりで、文学的に書き出したのではないから心配しないでくれ給え。いったいこのごろは、何賞何々賞というものが多過ぎるようだ。常務取締役に社長が多すぎるのも気にかかる。知人に道ででも会って、久しぶりに会ったなつかしさかなんだか知らんが、きまって名刺を出される。例えばどんな若僧にもらっても、見給え、たいていは社長か常務取締役である。社長だからと思ってあわててはいけない。電話が一本に机一つ椅子一つ、社長一人の社長もあれば、銀行に知人があるというので、金を借りに行くだけの常務取締役だってある。何々賞もそれと似たようなもので、余り多過ぎはしないか。ひとをけなすよりほめる方が美しいことだし楽しいことには違いないが、賞めそこなったために、そのひとの前途をあやまらす結果にならぬともかぎらぬ。たまたま格のある何々賞があってそれを受けたと思ったら、棺桶に片足突っこんでいることの証明みたいなことになってしまったり……。
さて、なにをいおうと思っていたのかな。そうだ。ある晴れた日の午後であった……のつづきだ。わたしは、犬をつれて散歩に出た。いや、そうではない。小学校の先生と散歩したのだ。その先生は、遠いところからわたしを訪ねてきてくれたのである。福井県のひとであった。わたしに、福井の産物をいつも送ってくれるひとだ。福井のガクブツである。