小説のタネ
本文約11,300字 ・ 読了時間 約23分
あらすじ(AIが作成しました)
吉川英治が自著の執筆背景や創作の流儀を語る。代表作『鳴門秘帖』は司馬江漢の随筆『春波楼筆記』を種本とし、周囲の勧めや自身の空想癖から生まれたと述べる。また『新・平家物語』などの歴史小説においては、先入観にとらわれず、歴史を区切られた時代ではなく一本の大河と捉えて人間の興亡を描く姿勢を示す。少年時代からの空想を愉しむ習癖が創作の原動力となっており、常に次なる物語の卵を胸に温めながら執筆活動を続けている様子を綴る。
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鳴門秘帖のころ
いま帰って来たばかりなんですよ。大映の試写室で、「鳴門秘帖」を見たんですがね。考えてみると、あれを書いたのは三十年前なんだな。てれましたね、たいへんに。映画化は今度で七回目なんです。はなはね、ひと頃の競映時代で、東亜キネマとか、松竹日活だとかで、さんざん競映でやったもんですよ。だが僕は、正直いうと、自分の古いもんの映画化は、ほとんど見たことないんです。少々気味がわるくってですね。だがあの頃は一つの新聞小説勃興期でもありましたなあ。三十年前だから、今度の終戦後に興った機運とはまた違うしね。いわば関東大震災を境にしたものさ。文芸でも何でも、復興期には復興機運の波が起るんだね。当時もロマンと興味追求のああしたものが、ちょうど沢田正二郎君が新しい剣の味を舞台に見せてうけた風潮などと共に一頃非常に盛んだったわけです。その一例が「鳴門秘帖」やまた同時に掲載され出した大仏次郎氏の「照る日曇る日」なんかだったわけですね。そして僕なんかも、まだ無名の駈け出しでしたし、年も三十三、四歳でしたかな。それを僕に書かせたのは阿部真之助氏で、その大毎にはまだ千葉亀雄氏がいた時分ですよ。けれど、社から伝言の人が来たとき、僕は驚いて、たしか断ったと思いますよ。
『とても、そんな大新聞に。自分なんかには、大任過ぎる』
と、真正直にかしこまって断ったもんですよ。
夏でしたがね、ちょうど、日頃よく僕のうちへ遊びに来る木彫家の伊上凡骨が、隣りの部屋で、昼寝していたんです。そいつが、あとでむっくり起きてきて、
『断るやつがあるもんか、絶好のチャンスだよ、書けよ、書けよ』
と唾を飛ばしてさかんにケシかけてくれたのを覚えています。それで、とにかく、おっかなびっくり始めたのが、あの「鳴門秘帖」の書き出しですよ。