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TORENDIA

芭蕉と歯朶

本文約8,600字 ・ 読了時間 約18分

あらすじ(AIが作成しました)

都会の家庭生活に煩わしさを感じていた蒔絵師の主人公は、避暑地の別荘で過ごし、そこで出会った友人や知人の穏やかな生活に触れる。自らの家庭に抱える分裂への不安や芸術的生活への模索を抱えながらも、土地の風景や人との交わりを通じて静かな心境を経験する。東京に戻り日常へ帰還した彼は、友人から届いた歯朶を庭に植え、雨の続く庭でかつての旅を想いながら、複雑な矛盾を抱えた自身の生活と向き合い続ける姿を描く。

徳田秋聲

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深い雑木林のなかに建てられたバンガロー風の其の別荘へ著いたのは午後の何時頃であつたらうか。彼はこの高原地へ来る途中、初めてそこを通る同行の姉娘と妹娘に、ウスヰ隧道の出来た時のことなどを語つて聞かせた。それは四十年足らずのむかし、彼が初めて東京へ出た時の思出話であつた。同じ文学を志した友人のK君と徒歩でこゝを通つたとき、隧道の難工事に従事してゐる労働者達の荒くれた風貌や関東弁がいかにアムビシヤスな、田舎からぽつと出の二人の幼な青年を驚かしたかを思ひ浮べたりした。荒いウスヰの山や谷々には、木の芽が漸く吹かうとしてゐた。旅客を運ぶ馬車が、喇叭を鳴らして、遠い山裾の道を走つてゐた。

「長野からづつと此の辺を歩いて、高崎から又た汽車に乗つたのさ。」彼は語つたが、それからの長い過去の現実が総て自身にも嘘のやうな話であつた。

「御母さんも家が可けなくなつて、東京へ出るとき馬車で此処を通つたさうだ。」彼は附加へようとしたが、彼女のことは語らないことにしてゐた。

「もう十五通つたわよ。」汽車の長いのに倦んでゐた幼い蝶子が言つてゐた。

別荘には迎へに来てくれたH青年兄妹と祖母とが来てゐるだけであつた。主客六人は上り口の広い廊縁のところで青葉の影を浴びながら、暫らく話してゐた。彼は羽織をぬいで、梁や手摺などの伐倒した雑木で造られた無造作な、しかしがつしりした其の建築に興味を感じた。

「これは好いですね。」

「兄の設計なんですが、夏だけのもので、一年中風雨に曝らしておくんですから。」

「この土地には皆さんこれが大変好いと仰つて。」お祖母さんも言つてゐた。

十一になる蝶子は十四になる妹の京子さんと、前から悉皆友達になつてゐた。料理場から料理を持出す窓をもつた食堂でもあり応接室でもあり遊戯室でもある二十坪ばかりの広間には、これも素材のまゝの手摺をもつた段梯子があつた。その前の方に畳敷の日本室があり、後ろのドアを開けると、そこに厠があり、厠と勝手元の間の廊下を行くと、そこに明るい感じの風呂場があつた。

「こゝだけは父が後から改築したんですが。」

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