本文へ移動
TORENDIA

詩と詩人

本文約1,100字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

詩とは打算やストイシズムからではなく、生の歓喜を叫びたいという根源的な衝動から生まれると説く。言葉や習慣以前の純粋な持続を重んじ、現象に対する忠実さの過剰であるパンセの重要性について論じる。さらに、叙事的な芸術形式が人間的心情を分裂させ、迷蒙を招く現状を指摘し、外面的な概念や学校教育に頼らず、自身の言語と心象において誠実を追求することの必要性を綴る。

中原中也

速度
🎧 詩と詩人 / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 2

一

詩といふものが、人生を打算して生きてゐる根性からは、決して生れるものではない! 一見、その根性は人をして屡々知慧ある態度を採らせるやうに見える。けれど知慧とはそんなものではない! 若しそれが知慧だとしたら、知慧とは千偏一律のもので、千偏一律な知慧なぞといふものが、考へられるか?

私もストイシズムの可なり立派な論拠を知らないものでもない。しかし遂に、ストイシズムは詩を生まない! 第一人間を偽善にする。注意せよ、世には甚だ見分け難い偽善がある!

芸術に始源がありとして、それは何だか知つてゐるか?――「叫びたい」ことだ! 而も所謂喜怒哀楽――即ち損得に因つて起る喜びと悲み――を叫びたかつたのではなく、かの生の歓喜だ! 即ち生が自然に溶解する時の寧ろ悲痛な声だ! それは抽象的でも具体的でもない、又あらゆる習慣、あらゆる思索の便宜に作られた言葉、あらゆる名辞以前にあるものだ。定型がない。一つの向勢があるばかりのものだ。そして向勢は諸物の形象を時間的に聚集する。それはまた必然の律動を呈す。――それが詩だ。

所謂自意識は人を不自然にする。詩人は謂はばソルレンとしてのみ知慧あるもので、衆人からは誤解され易い者だ。

詩人は純粋持続を壊ちはしない。純粋持続の、人に於ける心理的状態は、強ひて言へば、未来を思ふとしては神を、現在を思ふとしては自己を、過去を思ふとしては運命を信じてゐるのだ。

パンセのないものは詩人ではない。併しパンセは起るものとして自己を益し、パンセしようとしてすれば良く行つて歴史家の知にしかならないものだ。

パンセは詩ではないが詩はパンセする人から生れる! 而してパンセとは現象に対する忠実さの過剰と言へる。

誠実のほかに詩の秘訣なし。

二

叫びたいことが直接形を採るためには非常に熱烈である必要があるのだが、その熱度の聊低い者は叫ぶ者の容態を描くことになる。しかし

世の成り行なるものは対に純粋理性に逆行するものゆゑ、叫び――即ち抒情が先に生れるべきであつたに、歴史は吾々に叙事芸術の先にあつたことを示す。――寧ろ私は古代は叙事することによつて抒情を感ずることが出来たのだと言ふべきだ。

中原中也の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本