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TORENDIA

我邦感傷主義寸感

本文約1,600字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

京都の農林学校で生徒が性病に罹患し、重症者が放校処分を受けた出来事を題材に、論理よりも情実や道徳的批判が優先される日本の社会状況を論じる。技術的な合理性や客観性が軽視され、政治的な思惑や感傷的な常識論がまかり通る実情を指摘し、日本人の感傷的な国民性を分析する。そして、真の社会改善のためには、感情的な批判よりも問題の構造を客観的に認識する冷静な合理性が必要であることを説く一編。

中原中也

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🎧 我邦感傷主義寸感 / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

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此の間京都の農林学校の生徒が三十名、満蒙視察に出掛けました。帰つて来て、彼等の身体検査をしてみますと、そのうち二十名がイヤな病気に冒されてゐました。

そのうち五名は非常に重く、学校をも欠席してゐました。

何か処方せんけれあならんと思つたかした校長は、その五名を放校に、他の十五名を謹慎処分といふことにしました。

怒つたのはその五名の父兄で、病気の軽重で処分の軽重を割出したとは何といふことだといふので、復校運動を開始しました。

窮地に陥つた校長は、遂に如何にすべきか、文部省迄陳情して来ました。

ところで文部省で最初先づ云はれたことは、「若い身空で、ナンだ、けしからん」といふのでありました。

右は、新聞記事を読んでの私の記臆でありまして、詳しいことは何も存じませんが、又私はこれから、此の記事に出て来る実際人物のことを云はうとは思つてゐませんが、この記事を種に、私が想像出来るだけのことを記して、以て我邦感傷主義を一寸論じてみたいのです。

病気の軽重で、処分の軽重を決めたといふ校長の頭の程は、凡そ奇ッ怪なものでありますが、或ひは此の校長が、その地では人望のある、謂はば人格者かも知れないのです。羽織袴を忘れずに、帽子はなるべくアミダに冠らないやうにして、六ヶ敷い顔をして、理想を前例に照して持つてゐれば、近所知己の評判は良いのでありませう。

文部省の、その衝に当つた役人は、事務よりも先づ主観を述べられた。その前に仮令対策を述べられたとしても、その対策たるや凡そ見当が付くと云へませう。校長がもし人望のよい人である場合は、文部省によつて、アツサリ放校が取消されたにしても、何らか校長の顔を立てるためには生徒の方に臨時の損が振りかけられたに相違ありません。恐らく、アツサリ取消しはなかつたことと、私は思ふのであります。

で此の場合、仮りに一私人が罷り出たとして、放校された生徒に同情するとしますと、では、中学生が、イヤな病気になるやうなことをしてもよいといふのか、なぞといふことになつて、凡そ「病気軽重と処分軽重」の問題とは、外れた所に文句の花が咲きさうであることはお分り下さる所でせう。

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