祝宴
「あのおたねの岩屋の泉は」と村長の島田幾造がいった、「千年か、もっとまえかに、弘法大師が錫杖でもって岩を突いて、水よ湧けといったそうだ、三度も錫杖を突いていったそうだが、水は一滴も湧き出なかった、――そのころこの村は水不足で、両方の村と水争いの絶え間がなかったそうだ、死人もずいぶん出たらしい、そこへ道元禅師が来て、数珠をひと揉みしたら、それだけで水が噴きだしたということだ」
十月七日、この島田村長の屋敷では、男子出生の祝宴が催されていた。宗教の盛んな土地で、真宗の家系と禅宗の家系とは、歴史的に根深い反目と敵意とが続いていた。島田家は代々永平寺の信者であるが、他の多くの家は真言宗、一向宗の信徒が圧倒的で、冠婚葬祭には特に、相互の往来や交渉はなく、村長である島田家の祝宴にも、参会者は同じ宗旨の十二、三人しか列席していなかった。――何百年となく続いた屋敷で、太く反った棟柱が、天床のない屋根裏にがっしり据っているし、ひと抱えもありそうな大黒柱や、食器箪笥や、広い板の間など、年代を磨きこんだ人のちからとで、チョコレート色に光ってみえた。
「村長は口がうめえさ」客の中の竹中啓吉が土地訛りの強い言葉で云った、「だがな、――このうちは隠れキリシタンなんだ、永平寺は世間をごまかすためさ、本当は何百年もまえからキリシタンだったのさ」
「まさか」と相手は声をひそめて云った、「隠れキリシタンなんて、よくは知らねえが、九州かどっかの話じゃあねえのかい」
「日本全国だ」と竹中はめし茶碗で濁酒を飲み、味噌漬の山牛蒡をぼりぼり噛みながら云った、「秋田だか青森のどっかだかには、キリストの墓まであるってことだからな、こんなところに隠れキリシタンがいたってふしぎはねえさ」
ここは福井県大野郡山品村というところで、山ひとつ南へ越すと岐阜県になる。山品村は涸沢をはさんだ谷合の村であり、日の出がおそく日没が早い。涸沢の左右にある細長い田畑のほか、両方の山腹に段々畑と棚田があって、南側にある岩屋の泉は冷たいため、棚田へは涸沢の僅かな水を、汲みあげるよりほかはなかった。