一
魚金の店は北八丁堀の河岸にあった。二丁目と向き合った角で、東と南の両方から出入りができた。魚金は一膳めしと居酒を兼ねた繩のれんであるが、造作もちょっと気取っているし、いつも掃除がゆき届いていて、さっぱりとした洒落れた感じの店であった。板場のほうは主人の金助が受持ち、店は娘のお梅が二人の小女を使ってやっていた。
金助は四十五であった。彼はもと深川で魚屋をしていたが、お梅が八つになったとき女房に死なれ、まもなくこっちへ移って来て、このしょうばいを始めた。がっちりと骨太に肥えた、赫ら顔のぶあいそな、そしてひどく口の重い男であるが、気の好い情に脆い性分であった。
――おれは儲けるのは二の次だ、と金助は云っていた。めし屋などへ来る客は独身の者が多い。だから家庭的なものに飢えている、美味いに越したことはないが、親身な家庭的なものが喰べたいだろうし、家庭的な気分が欲しいものだ、この魚金はそういう店にするんだ。
誰でも考えることかもしれない。が、金助はそれを実行し、その気構えをいつまでも忘れなかった。
娘も父親によく似た性分であるが、八つの年から片親で、おまけにこういうしょうばい柄(女の子だけに)早くからませていた。顔だちも躯つきもきりっとしていた。背丈は五尺そこそこで、まず小さいほうであるが、胸や腰のあたりにまだ固そうでいながら、十八という年の柔軟さと、匂やかないろけがあふれていた。色の白いきめのこまかな肌で、おもながの顔に眼が大きく、眉毛がやや尻下りであった。左の唇の下に黒子があって、客に向ってそれを教えながら、――これ食いたしんぼの黒子よ、あたしをお嫁にする人はあたしに食わせることで追われるんですって、気の毒みたいだわ、と云うのが口癖であった。
店の土間には五人ずつ並べる飯台が四つ、坐って飲むための四帖半の小座敷が一つあった。二方の壁には品書などはなく、片方に桜井秋山の山水、片方に師宣の肉筆の風俗画が懸けてある。秋山はそのころ流行の画家であり、師宣の肉筆は浴後の美人で、むろんどちらもさして高価な品ではないが、そんな店には似合わない飾付であった。