TRENDIA CLASSIC

榎物語

山本周五郎

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さわが十三になった年、国吉が下男に来た。国吉は十五歳で、よく働く少年だったし、二年のち、二人は愛し合うようになった。

さわの父は河見半左衛門という。母の名はわか。さわの下に一つ違いの妹なかと、その三つ下に丈二という弟がいた。河見家は七代まえに苗字帯刀をゆるされ、代々七カ村の庄屋を勤めていた。「榎屋敷」と呼ばれるその家は葉川村の段丘の上にあり、ほぼ南北にのびる越後街道と、魚野川が眺められ、白い土塀をまわした広い屋敷の東南の隅に、樹齢五百年以上といわれる榎が、ぬきんでて高く梢を伸ばし、枝をひろげていた。

葉川村は越後のくに小出の郊外で、越後街道に面し、また会津若松へ通ずる六十里越えの山道が、うしろにのびていた。街道を往き来する人たちや、六十里越えをする人たちにとって、河見家の大榎は眼じるしの一つであり、それが見えると、ようやく小出の宿の近いことを知り、あるいは名残りであることを知るのであった。

小出は会津藩に属し、その代官所がある。絹と木材の集散地で、河見家でも広い木山を持っているため、庄屋のほかに藩の山方の差配を命ぜられてい、屋敷のまわりには樵たちの長屋があった。――国吉はその長屋で生れた。父は善吉といい、河見家の樵がしらで、妻とのあいだに六人の子があり、国吉はその四番めの二男であったが、国吉が五歳の年、善吉は半左衛門に土地を買って貰い、蒔田という村で百姓になった。善吉は青年になるまで百姓をしてい、それから河見家の樵になったのだから、彼自身は帰農というわけであるが、妻や子供たちには馴れない仕事であり、環境もいっぺんに変ったため、新しい生活にはなかなかなずめなかった。国吉は特にのら仕事が嫌いだったらしく、十五になるとすぐ、すすんで河見家の下男に住み込んだ。

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