TRENDIA CLASSIC

荒法師

山本周五郎

1 / 21

昌平寺の俊恵が荒法師といわれるようになったのはそう古いことではない。……昌平寺は武蔵の国における臨済門の巨刹の一であるが、その頃はいわゆる関東五山の威望もうすくなり、さして傑作した人物もあらわれず、いたずらに応燈関(大応、大燈、関山)三師の盛時を偲ぶ臨済宗門のもっとも衰えた時代で、大徳寺の古統をひいている昌平寺もすでにむかしの壮厳はなかった。しかしそれでも慧仙和尚のもとに老若十余人の僧が研鑽していたし、また諸国から来て挂錫する修業僧もつねに三五人は欠かなかったのである。……俊恵はもと土地の貧しい郷士の子で、幼いとき孤児になったのを慧仙がひきとって弟子にした、性質のごくおとなしい、頭のすぐれて明敏な少年だったから、和尚もこれは拾いものだといい、檀家の人びとも俊恵さまはいまに大智識におなりなさるだろうと噂をしあっていた。かれは十八歳になったとき京へのぼって東福寺に入り、そこで二年、さらに建仁寺から鎌倉へ来て円覚寺で二年、前後まる六年の修業をして昌平寺へ帰った、そのとき二十四歳になったかれは見違えるような偉丈夫に成長していた、骨太の六尺ちかいからだつきも、浅黒い顔にぐいと一文字をひいたような眉も、々と光りを放つ双眸も、すべてが逞しい力感に充ち溢れていた。相貌がみちがえるようになったのと共に性質もずんと変った、少年の頃から無口だったのがますますひどくなり、偶たまものを云うときにはなにか噛んだものを吐きだすような調子だった、「俊恵さまはお変りなすった」「むかし叡山の荒法師と呼ばれたのはあんな風だったろうか」「いかにも荒法師という風だ……」いつかしらんそういう評判がたちはじめ、やがてその名が近在に弘まってしまったのである。

山本周五郎の他の作品