思い違い物語
本文約44,600字 ・ 読了時間 約90分
あらすじ(AIが作成しました)
江戸邸から典木泰助が赴任し、山治右衛門の娘との縁談を巡って山治家の人々は翻弄される。泰助の温厚な性格を姉の千賀は好意的に受け止めるが、妹の津留は泰助の不可解な言動に苛立ち、彼を巡る周囲の思惑や誤解を鋭く追及する。泰助の弟を巡る決闘騒動や、自身の縁談を巡る山治家との対立が重なる中、泰助と津留は互いの想いや価値観の違いをぶつけ合い、事態は思わぬ方向へと展開していく。
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一の一
典木泰助が来たときは誰もさほど気にしなかった。江戸邸から人が来るたびに警戒的になる一連の人たちは、こんども初めはびくりとしたようである。しかし二十日ばかりするとかれらは祝杯をあげた。よほど疑いぶかい者でさえも、多少は含みのある調子で、
――まあ、よしんばそうだったとしてもあの男ならまあさして心配はないだろう。
こう云ったくらいであった。
泰助を寄宿させたのは山治右衛門である。彼は九百二十石の中老で年寄役を兼ね、昔は無鉄砲な強情者と定評があった。先代の殿さまは長門守知幸といって、これもずいぶんと我の強い人だったが、なにか右衛門に対して心残りなことがあったとみえ、もはや御臨終というばあいに及ぶと――山治をへこませることができなかったのは今にしては無念である。こういうことを口外されたそうである。このことは右衛門の耳に伝わったらしい、そして彼は臣下としてかなりまじめに反省し、自分の性行を撓めなおすことに努めた。そこには少なからぬ苦心があったと思うが、現在では穏やかな渋い人格を身につけ、どちらかといえばがまん強い人の部類にはいっている。……そのためかもしれないが、右衛門は泰助については満足していると云った。妻のみね女もそれに異存はないらしかった。またかれらには二人の娘がいて、姉の千賀は十八歳、妹の津留は十七歳になるが、この娘たちも幾らか保留的に同感の意を表した。
「本当に温厚なおちついた方ですわ」
姉の千賀は含羞みながらこう云った。
「どんな大事な物でも安心して預けられる方らしいわ」
妹の津留は含羞まずにそう云い、それからちょっと視点を斜にしてから付け加えた、「そしてとッてもうまく静ウかにくしゃみをなさるわ」
平穏な日々が続いた。