おもかげ
本文約10,200字 ・ 読了時間 約21分
あらすじ(AIが作成しました)
幼くして母を亡くした正之助は、父が江戸へ赴任したため、祖父と二十歳の叔母・秋代と鳥取で暮らす。秋代は厳しく正之助を指導し、時には突き放すような態度をとるが、その背景には亡き母から預かった「強い武士に育ててほしい」という切実な願いがあった。正之助が江戸へ発つ前夜、秋代はこれまでの過酷な仕打ちが、母への慕情を忘れないようにするための深い愛情であったことを明かす。正之助は亡き母と叔母の真意を知り、成長を誓う。
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一
はやり病をやんで、母の亡くなったのは、正之助が七歳のとしの夏の末だった。母はすぐれて美しいひとだったが、漆のようにつやつやとした黒髪と、ながいまつげに包まれた大きな眼とに特徴があった。ことにその眼は、またたきをすると云いようのない美しい艶があらわれ、いっそう顔がやさしくみえるので、正之助はたびたび「母さま、又またたきをしてみせて――」とねだったものである、母はいつも微笑しながら、云われるとおりしずかにぱちぱちとまたたきをしてみせて下すった。
母が亡くなってから間もなく、父はおかみのお申しつけで江戸へ去った。それまで父はおくなんど係の取締りをしていたが、殿さまのおぼしめしでお側御用という重い役目にとりたてられ、江戸のお屋敷でお勤めをすることになったのである、「あちらへ行って落着いたら正之助も呼んであげるから――」そう云って父は、家来たちをつれて、秋のなかごろに江戸へおたちになった。
父が去ると、にわかに家のなかが淋しくなった。広い屋敷の南は武家町につづいていたけれど、北がわとうしろは久松山の叢林で、夜更けなどには狐の啼くかなしげな声が聞えたりした。家族はお祖父さまと、秋代という叔母さまと、それから正之助の三人になっていた。家来たちも多くは父の供をして去ったので、弥兵衛という老家扶のほかに侍が二人、下男とはしためとで五人、それでぜんぶだった。それにお祖父さまは隠居をなすっていたので、たずねて来る客もすくなくいつも人ごえの絶えなかった賑やかな屋敷のなかは、嵐のあとのようにひっそりしてしまい、いままで気づかなかったお祖父さまの咳のこえまでが、いくつもの部屋を越してはっきりと聞えるくらいだった。
母の百ヶ日の忌があけた日、叔母さまは正之助を仏間へつれていって坐った。