TRENDIA CLASSIC

おもかげ

山本周五郎

1 / 14

はやり病をやんで、母の亡くなったのは、正之助が七歳のとしの夏の末だった。母はすぐれて美しいひとだったが、漆のようにつやつやとした黒髪と、ながいまつげに包まれた大きな眼とに特徴があった。ことにその眼は、またたきをすると云いようのない美しい艶があらわれ、いっそう顔がやさしくみえるので、正之助はたびたび「母さま、又またたきをしてみせて――」とねだったものである、母はいつも微笑しながら、云われるとおりしずかにぱちぱちとまたたきをしてみせて下すった。

母が亡くなってから間もなく、父はおかみのお申しつけで江戸へ去った。それまで父はおくなんど係の取締りをしていたが、殿さまのおぼしめしでお側御用という重い役目にとりたてられ、江戸のお屋敷でお勤めをすることになったのである、「あちらへ行って落着いたら正之助も呼んであげるから――」そう云って父は、家来たちをつれて、秋のなかごろに江戸へおたちになった。

父が去ると、にわかに家のなかが淋しくなった。広い屋敷の南は武家町につづいていたけれど、北がわとうしろは久松山の叢林で、夜更けなどには狐の啼くかなしげな声が聞えたりした。家族はお祖父さまと、秋代という叔母さまと、それから正之助の三人になっていた。家来たちも多くは父の供をして去ったので、弥兵衛という老家扶のほかに侍が二人、下男とはしためとで五人、それでぜんぶだった。それにお祖父さまは隠居をなすっていたので、たずねて来る客もすくなくいつも人ごえの絶えなかった賑やかな屋敷のなかは、嵐のあとのようにひっそりしてしまい、いままで気づかなかったお祖父さまの咳のこえまでが、いくつもの部屋を越してはっきりと聞えるくらいだった。

母の百ヶ日の忌があけた日、叔母さまは正之助を仏間へつれていって坐った。

山本周五郎の他の作品