TRENDIA CLASSIC

落葉の隣り

山本周五郎

1 / 34

おひさは繁次を想っていた。それは初めからわかっていたことだ。ただ繁次が小心で、おひさの口からそう云われるまで、胸の奥ではおひさを想いこがれながら、おひさは参吉を恋しているものと信じ、そのために心を磨り減らしているのであった。

「なんでもないよ、繁ちゃん」と参吉が云った、「大丈夫だ、心配しなくってもいいよ」

これが繁次と参吉と、そしておひさをむすびつけるきっかけになったのだ。

繁次と参吉はおないどしであった。浅草黒船町の裏の同じ長屋で生れ、その長屋で育った。おひさはかれらより五つとし下で、やはり同じ長屋の、繁次の家と向う前に住んでいた。――三人は小さいじぶんお互いを知らなかった。長屋には子供が多いし、三人はめだつような子ではなかったからだ。そのうえ、繁次は七つのときに総持寺の末寺へ小僧にやられ、五年のあいだその長屋にいなかった。父の源次は古金買いをしていたが、繁次を坊主にするつもりだったらしい。こんな世の中では正直者は一生うだつがあがらない、どんな貧乏寺でも一寺の住職となれば、人にも尊敬されるし食うにも困らないから、というようなことを、まだ七歳にしかならない繁次に云い聞かせた。

繁次が十二の年に父が死んだ。あとには躯の弱い母と八つになる妹のおゆりが残され、くらしに困るので彼は長屋へ帰った。寺の小僧になって五年、繁次は読み書きや礼儀作法は覚えたが、坊主になる気にはどうしてもなれず、機会があったら逃げだしてやろうとさえ考えていたので、家へ帰るときまったときには、父の死んだことを悲しむよりも、うれしさのあまりとびあがりたいように思った。

こうして繁次が長屋へ帰った年、参吉は反対に、田原町二丁目の仏具師の店へ奉公にはいった。ちょうど繁次と入れ違いのようなかたちだったが、そのあいだ半年ばかりいっしょに遊んだ。五年ぶりの再会であったが、特に親しかったわけではないから、初めは同じ長屋の顔見知りというくらいのつきあいで、そこにもしおひさがいなかったら、二人は友達にさえならなかったかもしれなかった。

山本周五郎の他の作品