一 岡本五郎太の手記
寛延二年三月八日の夕方五時から、石浜の「ふくべ」で永井主計のために送別の宴を催した。永井はこの十五日に参覲の供で、江戸へゆくことになったのだが、そのほかに、こんど永井家が旧禄を復活され、主計が中老職にあげられる筈で、江戸への供はその前触れを兼ねていたから、私が主人役で祝宴をひらいたのである。集まったのは私のほかに左の六名であった。
汲田 広之進(家老、三十五歳、八百二十石) 豊水 喜兵衛(年寄役、三十三歳、七百石) 志田 健次郎(小姓組支配、三十歳、百八十石、主計の義兄) 青木 惣之助(徒士組支配、三十二歳、百二十五石) 菊田又右衛門(正気館教頭、五十歳、八十五石) 島仲 久一郎(表祐筆、三十二歳、八十石)
志田は妻女の直江が、永井の妻女の姉に当っているという関係。また菊田氏は小野派の剣法師範、われわれ全部がいちどは教えを受けているし、永井はもっとも愛された門人であった。他の五人は(私を含めて)身分の差にかかわりなく、少年時代からの親友で、汲田の三十五をべつにすれば年も殆んど似かよっていた。酒に強いのは菊田氏と豊水喜兵衛であるが、菊田氏が酔うと必ず剣術の話が出、永井を自慢したうえ、彼がその道から去ったことを責めるのであった。十余年このかた、隣りの桜井藩と毎年正月に対抗試合がおこなわれ、ずっとこちらの勝が続いていたところ、二年まえに永井が正気館を去ってから、今年ですでに三回、続けて桜井藩に勝を取られていた。
――噂によると家格が旧に復し、永井は中老にあげられるという。昨夜も菊田氏はそう云って主計を責めた。正気館から籍を抜いたのはそのためだと聞いたが、そんなばからしい話はない、剣法の鍛錬を続けていればこそ、中老のお役もりっぱにはたせるのではないか。
永井は決してさからわず、まるく肥えた顔に、いつもの明るい微笑をうかべながら、菊田氏に盃を持たせっきりで、ひまなしに酌をしていた。
――そうです、仰しゃるとおりです、まったく仰しゃるとおりです、さ、熱いのが来ました、おかさね下さい。