一
節子が戸田英之助と内祝言の盃をとり交したのは、四月中旬の雨の降る日であった。
縁談のきまったのは去年の十月で、今年の三月には結婚する筈であったが、正月になって節子が風邪をひき、それがなかなかはっきりしないと思ううちに、午後から時間をきって熱があがるとか、かるい咳が出たり、胸がいやなぐあいに痛いとか、また肩がひどく凝って、躯がぬけるようにだるいとかいったふうに、だんだん調子が悪くなるばかりだった。
そこで御城詰めの和田玄弘という医者に診察してもらったところ、これは労症にちがいないということで、にわかに薬も療法も変り、二十日ばかりは手洗いに立つことも禁じられた。
当分は結婚などできまいというので、いちど戸田のほうへ取消しの相談をしたが、英之助は病気のなおるまで待つといって、そのはなしは受けつけなかった。そうしてほどなく、彼は尾花沢の番所支配を命ぜられ、いよいよ出張ということにきまって、内祝言の盃だけでもと熱心に申し出た。
――節子も半日くらいは起きていられるようになり、戸田のほうからこちらへ来るということで、その日ごく内輪だけの式が行なわれたのであった。
英之助は、すぐ出張しなければならないので、盃の済んだあとゆるしを得て、節子の病間へゆき、そこでしばらく話をした。
「この部屋を見るのは初めてだな、ここで寝ていらっしゃるんですね」
彼はなつかしそうな眼で、幾たびも部屋の中を眺めまわした。そこは彬斎といった祖父が老後に使っていた部屋で、風とおしがいいのと日がよく当るのとで、医者がすすめて病間にしたものである。
障子の外は濡縁になっており、向うは卯木の生垣をまわして、広庭と仕切りができている。ちょうどその生垣の卯花がさかりで、まだ小さい若葉の緑とまっ白な花とが、雨に濡れてひときわ鮮やかに見えた。
「相良がいつかあなたに申し込んだことがあるそうですね」
話の合間に、彼はとつぜんこう問いかけた。
「御両親は承知なさろうとしたのに、あなたがいやでお断わりになった。そういうことを聞いたんですが、本当ですか」
「――さあ、そんなこともあったようですけれど」
節子は、とまどいをしたように眼を伏せた。