TRENDIA CLASSIC

山本周五郎

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布施半三郎はその淵をみつけるのに二十日あまりかかった。

加能川には釣り場が多い、雇い仲間の段平は「三十八カ所ある」と云った。半三郎はひととおり見て廻ったが、自分の求めている条件に合うのは、その淵だけであった。――そこは七十尺ばかりの断崖の下にある。岩角や木の根をつたっておりるほかに道はない。対岸も同じような断崖で、淵はちょうど末すぼまりの袋のようになっている。川は右から曲って来て淵に入り、その淀みをぬけると左へ曲って川下へ下っている。したがってその淵はまったく他から隔絶しているし、人の来る心配もないといってよかった。

半三郎は満足そうに頷いた。彼は断崖の下の平たい岩の上に立って、流れや淀みのぐあいを見たり、両岸のようすを眺めやったりした。

「申し分なしだ」彼は云った、「まるでお誂え向きだ」

翌日、半三郎は支度をしてでかけた。

釣道具は江戸から持って来てあった。袋へ入れた竿と餌箱。魚籠はなかった、彼の釣りには魚籠は要らないのである。雇い仲間の段平は、旦那が忘れたのだろうと思った。

「もし旦那」と段平は云った、「魚籠をお持ちなさらねえのですか」

半三郎は「うん」といっただけで、振向きもせずに出ていった。

「おかしな旦那だ」段平は呟いた、「解せねえひとだ、どういうつもりだかさ――まあいい、おらの知ったこんじゃあねえ」

段平は頭のうしろを掻き、手洟をかんで、薪を割るために裏へまわっていった。

城下町からその淵まで、約一里二十町ばかりあった。はじめの一里は殆んど田圃の中の平らな道で、あとは坂道になり、終りの五、六町は特に急勾配の登りだった。梅雨のあけたあとで、日は暑く、平らな道は埃立っていたし、坂にかかると汗だらけになった。――そしてまた、竿と餌箱があるので、断崖をおりるのにも骨が折れた。

「こんなふうに触られると擽ったいだろうな、たぶん」

断崖の途中で休みながら彼は呟いた。

「擽ったいかもしれないがね、おい」と半三郎は断崖に向って云った、「どうかおれを振り落さないように頼むよ」

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