TRENDIA CLASSIC

三十二刻

山本周五郎

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「到頭はじめました」

「そうか」

「長門どのでも疋田でも互いに一族を集めております。大手の木戸を打ちましたし、両家の付近では町人共が立退きを始めています」

「ではわしはすぐ登城しよう」

「いやただ今お触令がございまして、何分の知らせをするまで家から出ぬようにとのことです。騒動が拡がってはならぬという思召でしょう。しかし用意だけはいたしておきます」

父と兄とが口早に話している隣の部屋から、娘の宇女が間の襖を開けて現れた……面長のおっとりとした顔だちであるが、今は色も蒼ざめ、双眸にも落着かぬ光があった。

「兄上さま、ただ今のお話は本当でございますか」

「いま見てきたところだ」

「疋田でも一族を集めておりますの?」

「それを訊いてどうする」

父の嘉右衛門が睨みつけるのを、宇女は少しも臆せずに見返して、

「次第によってはわたくし、すぐにまいらねばなりません」

「なにを馬鹿な、おまえは疋田を去られたのだぞ。どんなことが起ろうと疋田とはもう関りはないのだ。いいから向うへ退っておれ」

「わたくし疋田の妻でござります」

宇女は平然と云った。

「……お舅さまの仰付けで一時この家へ戻ってはおりますが、まだ主馬から離別された覚えはござりませぬ」

「理屈はどうあろうと、嫁した家から荷物ともども実家へ戻されれば離別に相違あるまい、この方に申分こそあれ、疋田に負うべき義理はないのだ、動くことならんぞ」

「宇女……退っておれ」

兄の金之助がめくばせをしながら云った。宇女はもういちど父の顔を見上げた。そして落着いた声で、

「父上さま、宇女は疋田の嫁でござります」

そう云って静かに立った。

嘉右衛門はぎろっとその後姿を睨んだが、それ以上なにも云おうとはしなかった。金之助は家士を呼ぶために立っていった……このあいだに自分の居間へ入った宇女は、手早く着替を出して包み、髪を撫でつけ、懐剣を帯に差込むと、仏間へ行って静かに端座した。

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