五瓣の椿
本文約148,800字 ・ 読了時間 約298分
あらすじ(AIが作成しました)
天保五年の正月、本所で隠居生活を送る中村仏庵が死去する。その数日後、日本橋の薬種屋「むさし屋」の寮が火災に遭い、主人の喜兵衛と妻のおその、そして娘のおしのが亡くなる。下女のおまさは、この火災を天罰だと冷ややかに語る。一方、八丁堀の同心・青木千之助は、おしのが残した自害の報と、自身の潔白を証明するための遺言に触れ、彼女が抱えていた過酷な運命と真実に向き合う。
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序章
天保五年正月二日に、本所の亀戸天神に近い白河端というところで、中村仏庵という奇人が病死した。年は八十四歳であった。彼は大工と畳職の棟梁であるが、書をよくし、雲介舎弥太夫と号していた。それは、箱根へ湯治にいったとき、駕籠舁から息杖を買って帰り、その杖に諸家から題詩を貰って彫りつけ柱に掛けて自慢していた。それで雲介舎などとなのったらしいが、そのまえ、本所の小梅に住んでいたとき、役者の岩井紫若がその土地を買った。紫若はそこへ家を建てるので、追立てられた彼ははらだちまぎれに、その住み古した家の壁へ左のような狂歌を書いて立退いた。
雲介が住みあらしたる家なれば
河原乞食や跡にきぬらん
奇人ではあったけれども、あまり世間からは好かれていなかったようだ。この仏庵の住居から一丁ほど南に寄って、やはり白河端に「むさし屋喜兵衛」の寮があった。むさし屋は日本橋本石町三丁目の薬種屋で、隣りに油屋も兼業してい、老舗としても資産家としても、市中にひろくその名を知られていた。
仏庵が死んでから四日めに当る、同じ正月の六日の夜半、その「むさし屋」の寮が自火で焼け、焼け跡から三人の死躰が出た。兼業の油屋の品が置いてあったものか、建物の中は油が火を引いたもようで、柱まできれいに焼け落ち、三人の死躰も殆んど男女の区別がつかなかった。――寮にはおまさという中年の下女と、五助という下男がいた。五助はかよいで、夕方には自宅へ帰るが、おまさはもちろん住込みであった。しかしおまさも、その日は本所業平にある弟の家へ帰ってい、明くる朝、寮へ戻って来て初めて、その出来事を知った。
町方の訊問に対して、おまさは次のように答えた。