TRENDIA CLASSIC

蕭々十三年

山本周五郎

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明暦三年の火事は江戸開府いらいはじめての大災だった。正月十八日午後三時ころ、西北の烈風ちゅうに、本郷五丁目裏にある本妙寺から発した火は、ほとんど市街の三分の一を焼き、ついに江戸城の本丸天守閣をさえ炎上せしめた。そしてまだその余燼の消えやらぬ翌十九日、小石川の新鷹匠町と、麹町五丁目との二カ所から出火し、江戸城の諸門は大手をのぞくほかすべて焼亡、品川の海岸まで延びてようやく鎮火した。罹災したもの、武家屋敷では、万石以上のもの五百余、旗本屋敷七百七十余、堂社三百五十、町屋千二百町、焼死者十万七千というありさまで、この夥しい死躰を埋葬供養したのが本所回向院である。

この十九日の大火のときであった。ふたたび江戸城へ火が迫ったとみて、諸大名旗本の人々はすぐさま駆けつけて来た。しかしこういう場合には誰でも城中へはいれるわけではない。諸門には譜代旗本が警固していて、入れてよい者は通し、必要のない者は見舞の言上だけ受けてかえしてしまうのである。殊にそのときは由井正雪、別木庄左衛門などの事件があって間もないために門々の固めは厳重をきわめていた。

井伊掃部頭直孝のかためている桜田門へ、岡崎城主、水野監物忠善が馬を乗りつけて来た。まかり通ると名を通じたが、忠善のうしろに八名ばかり家来がいるのを見て、「ひじょうの場合、家来はあいならぬ」と直孝が押しとめた。

「家来と申しても僅かに数名、お役のはしにもあいたつべく、お通しがねがいたい」

「御城中にも人数はござる、家来はあいならぬ」

「……さらば」忠善はとっさに思案して、「馬の口取り両名はおゆるしください」

「いや乗馬はあいなり申さぬ、それほどの事をわきまえぬ監物どのでもあるまい」

「おひかえめされ」忠善はどなりだした、「かかる大変の場合、乗馬なくしていざというときのお役がつとまると思うか、ならぬというなら押し通ってみせるぞ」

荒大名として忠善の名はかくれもなかった、いけないと云えば本当に押しやぶっても通るにちがいない、直孝はしかたがないので、「では片口でお通りなされ」と答えた。

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