留さんとその女
本文約6,700字 ・ 読了時間 約14分
あらすじ(AIが作成しました)
通船会社の水夫である留さんは、人から小馬鹿にされながらも、貯金をして女と世帯を持つことを夢見る心優しい男である。彼は念願かなって潮来で馴染みだった女と夫婦として暮らし始めるが、その女は別の男に貢ぐため、留さんを巧みに利用していた。留さんはその事実を知りながらも、女の笑顔を守るためにひたむきに働き、稼いだ金を差し出し、女に喜んでもらおうと得意の馬鹿踊りを披露し続ける。健気な男の献身と女の嘘を描く。
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留さんは通船会社の万年水夫である。
彼はもう三十八になる、蒸汽河岸きって――いや村の漁夫たちを入れても――いちばん色の黒い男だ。黒いといってあんな黒さがあるだろうか、噂によると、
「どんな暗闇のなかでも留さんの顔だけは黒く見える」
といわれている。
彼は右足の拇指がない、お人好しで、ぐずで、いつも喉をごろごろならせている、いうまでもなくそれは悪い病気のせいだ、しかし留さんには留さんの哲学があった。
「二十年も蒸汽に乗っていれば、誰だってどこかしら鳴るようにはなるべえさ」
彼は馬鹿踊りの名人だ。
留さんは三十五号船に乗っている。船長はぶるさんといわれる七十近い老人で、体の水脹れにふくれた中気病みである。そのうえもうすっかり眼が霞みはじめているので、航海の舵をとるのは無理であった。しかしぶるさんはがんとして舵機を放さない。
「おらがこの船を下りるのはおらの死ぬときだ」
と云っている。
それはそうかも知れぬ、けれど眼の霞みはひどくなるばかりで、その春だけでも三艘の漁舟を突沈めてしまった。そこで会社では――なんと物分りのよい人たちであろう――留さんにある役割を与えた。だから留さんはいつも舳先のところに立って叫んでいる。
「おも舵だ、石炭船が来るぞ」
とかあるいはまた、「あ、危ねえ、ゴスタンをかけろ、とり舵だ」
とか。その役割は留さんの気に入ったらしい、彼はしばしばこう云っていた。
「おらがいねえば三十五号は闇だ」
みんなは彼をすっかり小馬鹿にしている。
一番ちびの十六になる幸保にさえせせら笑いをされている、しかし彼自身はそんなに自分を見限ってはいない、二十年まえにそう思ったように、今でも、
「もうそろそろひと花咲せるのもいい」
と考えている。
そこで蒸汽河岸の高梨の奥さんに、毎月いくらずつかの貯金をしてもらっているわけだ。それはちびの幸保までが、
「蒸汽乗りの面汚しだ」
と憤慨するほど熱心なものであった。