楯輿
本文約8,400字 ・ 読了時間 約17分
あらすじ(AIが作成しました)
神原与八郎は、もののふの面目は戦場でのいさぎよい死にざまにあると信じ、それを追求する気性の激しい武士である。彼は名高い勇士との議論や縁談を通じて自らの信念を貫こうとするが、関ヶ原の戦いの前哨戦となる清洲城の留守を守る中で、指揮に従い無心に闘う兵たちの姿を目の当たりにする。個人の名を残すことや死に方への執着を超え、ただひたむきに戦場という現実に身を投じる境地に達した与八郎は、自身の生きる意味を新たに見出す。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
💰 この本を応援する(投げ銭)
一
神原与八郎は豪快な生きかたを好んだ。からだはどっちかというと小がらなほうだが、肩腰の頑丈な逞しい骨ぐみだし、眉のあがった双眸の光りのするどい、いつも片方へひき歪めている唇つきなど、負けぬ気のつよさと軒昂たる意気をよくあらわしていた。起ち居ふるまいも言葉つきも颯爽として、大事に惑わず小事に拘泥せずという態度を常に崩さない、かくべつ大言壮語するわけではないが、なかなか辛辣な舌をもっていて、年功の者などをも屡々極めつけるようなことがあった。かれはくち癖のように「死にざま」ということを云った、もののふの鍛練は、つまるところ死にざまを究めることだ、そう云いきるのである、……戦場の心得などというものも数かぎりなくある、刀槍の法とか進退のみきりとか、迫場の急所とか、それぞれ秘伝のように説く者がある、けれどもそんなことは末節にすぎない、大切なのはその死にざまだ、勝敗いずれにしてもいさぎよい死にざまこそもののふの真の面目だ。幾たびとなく戦塵を浴び兵馬のうちに育ったような老い武者の前でも、確信のこもったくちぶりでそう云うのだった。もちろん単なる思いあがりではない、天正十八年の小田原攻めには十六歳で初陣しているし、征韓の役にも従軍した、そのときのはたらきぶりを認められて、二十三歳から槍組の三十人がしらを命ぜられている、つまりそう云うだけの経験があるので、出まかせの強弁でないことはいちおうたしかだった。……それにしても福島家には名高い勇士が多いので、与八郎くらいの身分や経歴では、さほど眼だつほうではなかったが、或るときかれは人の意表に出ることをやって、いっぺんにおのれの存在をはっきりさせた。