一
本田昌平は、ものごとをがまんすることにかけては、自信があった。
生れついた性分もあるかもしれないが、二十六年の大半を、そのためにも修業して来た、といっても不当ではない。三千石ばかりの旗本の四男坊というだけで、わかる人にはわかると思う。そのころ世間一般に、
――二男三男は冷飯くらい、四男五男は拾い手もない古草鞋。
などという失礼な通言があった。士農工商ひっくるめた相場で、なかでも侍はつぶしが利かないのと、体面という不用なものがあるだけ、実情はいちばん深刻だったと思う。
その朝も昌平はがまんした。
「飯のことで怒るなんてあさましい、男が怒るならすべからく第一義の問題で怒らなくちゃいけない、たかが腹の減ったくらい」
そんな独り言を云って下腹へ力をいれてみたり、深呼吸をして、机に向ってみたりした。机の上にはやりかけの写本がある、擬古体のごく嬌めかしい戯作で、室町時代の豪奢な貴族生活、特に銀閣寺将軍の情事に耽溺するありさまが主題になっていた。彼は数年来この種の書物を筆写し、不足な小遣を補なってきた。内職などは厳重に禁じられているし、ものがものだけに極秘でやらなければならないが、手間賃の割がいいのと、自分も艶冶な気分が味わえる点とで、ちょっと一挙両得的な仕事だったのである。
「二日や三日食わなくったって、人間なにも死ぬわけじゃあない」
昌平は筆写にかかった。
「知らせて来るまでひと稼ぎやるさ」
だがいけなかった。手が震えて字がうまく書けない。火桶には螢ほどの残り火があるばかりだし、腹は頻りにぐうぐう鳴りだす。おまけに写している文章は、銀閣寺将軍が酒池肉林の大饗宴をやっているところで、忍耐を持続するには極めて条件が悪かった。
「ちぇっ、いったいあいつら、なにをしてるんだ」
彼は筆を措いた。この頃は朝食を知らせに来るのがおそい、だんだんおそくなる傾向であるが、その朝はことにおそかった。
「べらぼうめ、なにが第一義だ」
障子へ日のさしてきたのを見て、昌平はついにがまんを切らした。
「腹が減れば空腹になるのは人間の自然じゃあねえか、おれだって人間だ」
ばかにするなと思いながら、少しは憤然として外へ出た。