TRENDIA CLASSIC

ばちあたり

山本周五郎

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私をみつけるとすぐに、弟の啓三は例のとおり大きく手を振った。私は気がつかないふりをして、三番線のプラット・ホームのほうを見ていた。啓三は近よって来ると、これまた例の如く私の肩を叩いた。彼の体から香水が匂った。

「早かったね」と啓三が云った、「病院のほうはいいの」

私は黙って頷ずいた。

「この暮になってひどいよ、おれにとっちゃあ一時間が何万円にもつくときだからね」と啓三はなめらかに云った、「往復するだけでも二日だぜ、もしものことがあっても一日しきゃ日は取れないんだ、一日だな、一日以上は絶対にだめなんだ、おふくろも罪なときに罪なことをするよ」

私は黙って階段口のほうを見た。啓三は母を責めているのではない、一時間が何万円にもつくという、自分の言葉の裏書きをしているにすぎないのだ。

「こんなところに立っていてもしようがない」と啓三が云った、「中へはいって坐ろうじゃないの」

「室町がまだ来ないんだ」

「いいよ、車がきまっててシート・ナンバーがきまってるんだもの、そうでなくったってあの女傑がまごつきますかさ、わからなければ駅長を呼びつけるくちですよ、駅長おどろくなかれって、ね」

私は彼に「乗れよ」と云った、発車時刻が迫っていて、歩廊にいる客たちは次つぎと車内へはいってゆき、私たちのまわりには見送りの人や、走って来る乗客たちがまばらに見えるだけであった。

「ねえ、どう思う」と啓三は急に声をひそめて云った、「キトクっていう電報はこれで三度めだろう、あんたは三度とも診察しているでしょう、それでこんどはどうだと思う」

私は穏やかに云ってやった、「きみは香水のスプレーは丹念に握るくせに、髭を剃ることは忘れるらしいな」

「あんたにはわからないポケットさ」啓三は右手で口のまわりを擦った、「このぶしょう髭を少し伸ばしてるのが、当代仲買人のはやりっ子っていう看板なんでね、いまどき髭をきれいに剃ってるなんてのはバーテンダーか、信託銀行の支店長かベル・ボーイ、やあ、女傑があらわれましたぜ」

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