一
備前の国岡山の藩士に、青地三之丞という弓の達人がいた。食禄は三百石あまり、早く父母に死別したので、伯父にあたる青地三左衛門の後見で成長した。十九歳の時家督を相続、少年の頃から弓の巧者だったので、お弓組にあがって勤めていた。三之丞は幼少の頃からおっとりした性質で、怒ったという顔を見せたことがないし、かつて人と喧嘩口論をした例がない。おまけにひどく口数のすくない男で、つまらぬ世間ばなしなどにはいつも横を向いている。
「珍しい上天気、いい日和でござるな」「……されば」「いや、妙な雲が見える、降るかも知れぬが、どうであろう」「……されば」「ここで降られては鷹狩りのお供が辛い、どうか二三日もたせたいものでござるな」「……されば」と云った調子である。さして大事な話でないものは、大抵これで片付ける。これをくどくやると、しまいには「されば」も云わずに黙ってしまう。それでも別に無愛想だとも云われず、上役にも下役にも評判がよかったのは、生れつきの人徳があったのに違いない。
これと面白い対照なのは伯父の三左衛門であった。三左衛門は、「雷三左どの」とあだ名がついていて、性急で早合点で、すこしもゆったりしたところがない。始終せかせかとかけ廻って怒鳴りちらしているという風だった。そういう性質だから、甥の三之丞の落着きはらった態度がひどく眼につく。
「若い者はもう少しはきはきとせぬか」顔を見ると小言である。「おまえのすることを見ていると背骨をかたつむりに這われるような気持だ。こう、そのもっとてきぱきとできぬものか」
小言を云いながら独りで癇癪を起こしている。尤も三左衛門になつという娘があって、これがよく三之丞の味方をしてくれた。なつは三之丞と四つ違いで、さして美人というのではないが、思遣りの深い利巧な娘だった。
ある年の春先、三左衛門は広縁に出て庭を見ていたが、ふと庭はずれにある梨の木の高い梢に一羽の鷺が翼を休めているのをみつけ、慌てて三之丞を呼んだ。
「お呼びでございますか」「あそこを見ろ、あの梨の梢に鷺がとまっておる。見えたであろうが」「はい」「あれをここから一矢で射止めてみろ」「それでどういたします」