変事
一
九月中旬のある晴れた日の午後。
芝新網にある紀州家の浜屋敷の門前へ、一人の旅装の若者が来て立った。長い旅をつづけて来たものとみえ、肩へかけた旅嚢も、着ている物も、すべて汗じみ、埃まみれであるが、笠をぬいだところを見ると、いま洗面したばかりのように、さっぱりと冴えた顔つきをしていた。
眼鼻だちはきりっとして、ちょっと強情らしく、きかない性質のようであるが、やや尻下りの眼や、口尻の切れあがった唇のあたりに、人をひきつける一種の魅力があった。背丈は五寸[#「背丈は五寸」はママ]たっぷり、中肉でひき緊った、敏捷そうないい躯であった。
彼は笠をぬいで、門番小屋のほうへ近づいていった。
そのとき、向うの町角から、一人の少年がこちらを覗いた。どうやら彼のあとを跟けて来たものらしい。若侍が番小屋に近づくと、さりげないそぶりでこっちへ出て来た。年は九つか十であろう。古びためくら縞の、綻びだらけの袷に三尺をしめ、摺り切れたわら草履をはいている。色が黒く、眼がまるく、いかにも「悪童」といった感じであった。
少年はゆっくりと、門の前を通りぬけた。それは、若侍と門番の話を聞くためのようであった。そのまるい眼がすばやく左右に動いていた。
「紀州さまお浜屋敷でございますな」
と若侍は門番に云った。
「甲野殿を訪ねてまいった者ですが、通って宜しゅうございますか」
「失礼ですが御姓名をどうぞ」
老人の番士がもの憂げに云った。
「長崎からまいった花田万三郎という者です、休之助の弟で、手紙が届いている筈です」
「すると、――」
老番士の顔が驚きのために緊張した。
「するとお手前さまは、甲野休之助殿をお訪ねでございますか」
「そうです」
「それはそれは」
老番士は声をはずませた。すぐにはあとが続かないらしく、痩せた頸の大きな喉ぼとけを二三度も上下させた。
「こうのと仰しゃったので、ほかのこうのさまかと思いましたが、甲野休之助さまだとすると非常にお気の毒でございます」
「甲野がどうかしたのですか」
「ゆうべ自火をお出しなさいましてな、夜半の、さよう子ノ刻半(一時)ごろでございましたろうか」
「自火というのは火事ですか」