百足ちがい
本文約28,300字 ・ 読了時間 約57分
あらすじ(AIが作成しました)
江戸の上邸へ着任した秋成又四郎は、周囲から「百足ちがい」と呼ばれ、奇妙な好奇の目にさらされる。寄宿先の勘定奉行・五正家の令嬢みつ枝は、又四郎に異様な執着を見せ、執拗に身の回りの世話を焼き続ける。五年の時を経て帰国した又四郎は、周囲の人々の激しい人生の変転を目の当たりにし、己の生き方を振り返る。焦ることなく着実に歩んできた自身の半生と、かつての恩師の教えを重ね合わせながら、彼は未来を見つめ直す。
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一
江戸の上邸へ着任した秋成又四郎は、その当座かなり迷惑なおもいをさせられた。
用もないのにいろいろな人が話しかける。役部屋にいると覗きに来る者がある。御殿の出仕にも退出にも、歩いていると通りすがりの者が、すれちがいざま同伴者に、
「あれだあれだ、あれだよ、百足ちがい」
などと囁く。するとその同伴者が、
「あれかい、へえ、そうかい、あんな男が」
などというのが聞えるのである。
また彼は勘調所出仕であるが、それとはまったく関係のない役所の、奉行とか、元締とか、頭取などという人たちによく呼ばれた。べっして用事があるわけではない、見るような見ないような、さりげない妙な眼つきでこちらを眺めまわし、
「国許のほうはどういうぐあいのものか、そこは種々となにもあるだろうが、自分もいちどはいってみたいと思うが、どんなものか」
まるで愚にもつかないような質問をして、それからなにやら一家言めいたことを述べて、ではまた、などというのが終りであった。
勘調所は老職総務部に属し、政治の監査と、藩主の諮問機関を兼ねている。又四郎はその記録係の責任者であるが、五人いる下僚たちからも、当分のあいだ悩まされた。かれらはそれほどひねくれた人間ではないらしいが、下僚根性は多分にあった。又四郎がなにか命ずると、実に巧みにわからないふうをよそおう。
「はあ、どれそれを、……はあ、なんですか」こんなぐあいにきき返す、なんどもきき返し、お互い同志で眼を見交わし、首を捻り、またきき返して、ようやくわかると、
「ああそうですか、そういうことですか、それでわかりました」
そしてなあんだという顔をするのであった。
総務部では五日に一回ずつ重臣の寄合がある、これは定例の茶話会のようなもので、年度更りとか、なにか重要な懸案のない限り、雑談をして二時間ばかりで解散になるが、そのときは勘調所の各課から、司書と呼ばれる責任者が出てそれに加わる。……ただ陪席するだけで、たいていおえら方のつまらない座談を聞くばかりだが、ここでも又四郎はずいぶん辛抱しなければならなかった。