TRENDIA CLASSIC

屏風はたたまれた

山本周五郎

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吉村弥十郎はその手紙を三度もらって、三度とも読むとすぐに捨てた。ちょうど北島との縁談がまとまったところなので、誰かのいたずらだろうと思ったからである。差出人の名はただ「ゆき」とだけで、内容はいつもきまっていた。

――自分はさる家の乳母であるが、自分のそだてた嬢さまがあなたをみそめ、おもいこがれるあまり病気のようになった。そばにいて見るに見かね、思いきってこういうぶしつけな手紙をさしあげる。どうかいちど嬢さまに逢ってやってもらいたい、むすめ一人のいのちが助かるのである。自分は来てくださるものと信じて、嬢さまといっしょに待っている。堺町の中村座の茶屋で「ゆき」と云ってくださればわかるようにしてある。

そして、どうかぜひ来てくれ、こんどこそ来てくれるようにと、くり返し書いてあった。どこのなに者ともわからないが、よその娘にみそめられる、などという機会があったとは思えない。考えてみても、弥十郎にはそんな記憶はないし、書いてあることもあまりに古風であり、型にはまりすぎていた。「ふん」と弥十郎は呟いた、「ひまなやつがいるものだ」

吉村は九百五十石あまりの中老で、父の伊与二郎は五十八歳になり、槍組と鉄炮組を預かっていた。母のさと女は松沢氏の出で、良人より十二歳も下の四十六である。弥十郎の下に小三郎という弟と、みはるという妹がいたが、弟は母の実家の松沢へ養子にゆき、妹は去年十六歳で小島靱負にとついだ。松沢は八百石ばかりの寄合番頭で、長男が三年まえに急逝したため、小三郎が養子にはいったのであった。

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