一
宮部小弥太は臆病者であった。
二十八にもなって、いまだに暗闇を独りで歩くのが怖かったり、夜半の上厠に怯えたり、他人の喧嘩を見るだけで震えたりするようでは、農夫町人としても臆病者の譏りはまぬかれないだろう。小弥太は小身ながら武士であった、然も寛永正保という、武家気質の最も旺盛な時代のことだから実に眼立った。……彼は物心のつく時分から、どうかしてもっと剛毅不屈な人間に成ろうとして、色々と苦心してみたのである。しまいには神社、仏堂に参籠までした。滝に打たれてもみたのである、けれど持って生れた性質はどうにもならなかったので、遂には自分でも諦めてしまった。
彼は三河国岡崎藩、水野監物忠善の家臣で、先手組五十石あまりの小身者だった。然しその「小身者」だということが、彼にはどんなに有難かったか知れなかった。仮に三百石か精々五百石どころの家に生れたとしたらどうだろう、彼にはそう考えるだけで身震いが出た。そして自分の軽い身分と、眼立たない境遇とを振返ってみて、心から安息を感ずるのであった。
正保四年二月、小弥太は同家中の番頭格を勤める橋本作左衛門の娘お八重と祝言を挙げた。きわめてあたりまえな、平凡な結婚であった。お八重は二十歳で、容姿も才も良人に似合いの温和しい内気な娘だったが、ただ毎もその顔つきに「覚悟はできております」とでも云いたげな表情が据わっていた。静かな、慎ましやかな生活が続いた。口数は寡ないが細かいところまで気のゆき届いた温かい妻の愛情は小弥太の一日一日を新しい充実した悦びに満たして呉れた。――己にもこんな仕合せが恵まれたのか、本当にこの仕合せは己のものだろうか。時にはそう思って不安を感ずるほど、小弥太の生活は幸福なものであった。……こうして五十日ほど経った、四月はじめの或る日、お城から下って来た良人の顔が、常になく蒼白いのに気付いたお八重は、着替えを手伝いながらそっと訊いた。
「どうかあそばしましたか」
「……どうして」小弥太は吃驚したように振返った、「どうかしたように見えるか」
「たいそうお顔色が悪うございますから」