一
烈風と豪雨が荒れ狂っていた。氾濫した隅田川の水は、すでにこの家の床を浸し、なお強い勢いで増水しつつあった。昨日の未明からまる一日半、大量の雨を伴って吹きとおした南の烈風は、ようやくいまやみそうなけはいをみせ始めていた。まだ少しも弱まってはいないが、ときおり喘ぎのように途切れるし、空を掩って低くはしる雲の動きも、いくらか緩くなってゆくようであった。
三之助は二階の六帖に寝ころんでいた。
二階には部屋が三つあり、その六帖は東の端になっていた。間の襖があけてあるので、他の二部屋も見とおすことができる。そこには畳や襖障子や、その他の家具、箪笥や長持や火鉢や、なにかの箱などがぎっしり積み上げてあった。吹き飛ばされた雨戸の隙からさし込む光りが、それらの家具を片明りに、ほの暗く映しだしていた。それは階下から運びあげたものであった。この家の人たちはそれらの物を運びあげて、朝はやく、まだ暗いうちに逃げていった。
「悪くはなかった、これも一生だ」三之助は口の中で呟いた、「おれはおれなりに自分の一生を持ったんだ」
縞の単衣の胸がはだけ、三尺帯がとけかかっていた。少し痩せてはいるが筋肉のよく緊った、精悍そうな躯つきである。顔は白っぽく乾いていた。こけた頬や骨ばった顎のあたりに、激しい疲労と弛緩の色があらわれていた。疲れきって虚脱しているようであった。なにもかも、身も心も投げだしたというふうにみえた。
「生れてきたことはよかった」こんどははっきりと呟いた、「生れてこないよりは、やっぱり生れてきたほうがよかった、飢えや、寒さや、辛い、苦しいことが多かった、そうだったか、……いつもおれは逃げだすことばかり考えていた、そしていつも逃げだした、逃げださなければもっと悪いことが起こっただろう、……こんどは逃げなかった、逃げだすことができなかった、そして、こうするほかに手はなくなった」