水戸梅譜
本文約12,600字 ・ 読了時間 約26分
あらすじ(AIが作成しました)
徳川光圀の水戸の館を訪れた浪人・五百旗五郎兵衛は、仕官を断られ、願いを叶えられぬまま屋敷内で自害する。十六年後、光圀は不慮の縁で五郎兵衛の息子と対面する。かつて父が死に際して子に託した「水戸家への忠義」という遺言と、荒れ地を開墾し家を支え続けた母子の絆を知った光圀は、過去の自身の不明を深く悔いる。武士としての矜持と、主君への一途な献身という父の遺志を継ぐ息子の姿を通じ、人間としての高潔な魂のあり方を描く。
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一
寛文五年の秋のある日、徳川光圀の水戸の館へ、貧しげなひとりの浪人ものが、仕官をたのむためにおとずれた。衣服も袴もつぎはぎのあたった木綿ものであったが、よく洗って折目がついていた、としは三十二三であろうか、頬のあたりに辛労のかげがみえるけれど、まぎれのない眉つきがひと眼をひいた、月代もきれいに剃っていた、執事の鈴木主税がかれに会った。
「旧主の名は申上げかねます」かれは作法ただしく云った、「わたくしはもと奥州のさる藩につかえておりました五百旗五郎兵衛と申す者でございます、さきごろ主家が御改易となり、わたくしもただいまは浪々の身の上でございます、それにつきまして、わたくしは御当家こそさむらいの御奉公つかまつるべき御家と、かねて心におたのみ申しておりましたので、かないまするなら御家中のお末になりとお召抱えねがいたいと存じ、ぶしつけながら押してお願いにまかり出たしだいでございます」御前までよろしく御披露をたのむと云って、かれは膝へ手を置いたまま低頭した。主税はなかばうわのそらで聴いていた。光圀が水戸家をついだのは寛文元年のことであるが、若いじぶんからそのすぐれた風格は世に知れわたっていたので、いよいよ水戸二代の宰相をついだとなると、風を慕って随身をたのむさむらいたちがひきもきらず、その応接のいとまにくるしむありさまであった。ただそればかりならよいが、なかには仕官をたのむのは口実で、本当はいくばくかの合力にあずかろうという浪人ものもいた。近頃ではむしろそういう者のほうが多いくらいだったので、筋のわからぬ者はたいてい些少の銀を与えてかえすことになっていた。