TRENDIA CLASSIC

樅ノ木は残った

山本周五郎

1 / 172

意地の座

甲斐が「席次争い」の騒ぎを知ったのは、矢崎舎人の裁きがあって、十日ほど経ったのちのことであった。

それまでにも、甲斐には辛いことが続いていた。おと年(寛文五年)の夏、塩沢丹三郎が毒死し、去年の正月には茂庭周防に死なれた。周防が寝ついていた百余日、病床をみまったのは、僅かに三度だった。それも二度は他のみまい客といっしょで、まったく形式的な挨拶しかしなかった。ただいちど、独りでみまったときも、ほんの四半刻あまりしかいなかったし、そのときでさえも、深入りをした話しは、二人ともしなかった。

――話すことはないな。

――そう、話すことはない。

二人はお互いの眼でそう頷きあった。たしかに、口で話しあうことはもうなかった。周防の顔には、あとの事は甲斐が引受けてくれる、という安心の色があり、甲斐は大丈夫やってくれる、という信頼感があらわれていた。それを証明するように、周防はひと言だけ、先へいって済まない、という意味のことを、微笑しながら云った。

――なに、すぐ追いつくさ。

と甲斐は答えた。

――もうみまいに来るには及ばないぞ。

――そのつもりだ。

――これが別れだな。

――これが別れだ。

――笑うかもしれないが。

と周防が云った。

――おれがいまいちばん心配しているのは、うまく死ねればいいが、ということだ。

――自然のままがいい。

と甲斐が云った。

――うまく死のうとまずく死のうと、死ぬことに変りはないのさ。

周防は微笑し、じっと甲斐の眼をみつめながら、頷いた。

――ではこれで。

――では、……

それが、二人の会った、最後になった。

周防の死んだのは、正月十一日の朝で、前夜半から二度茂庭の家従から甲斐のもとへ、「危篤」の知らせがあり、甲斐は堀内惣左衛門を代理にやった。惣左衛門は夜明けまで、茂庭家に詰めていたが、臨終が近いといって、七時ころ、甲斐を迎えに来た。

ひと眼だけ、顔を見たい、と仰しゃっています。

山本周五郎の他の作品