意地の座
甲斐が「席次争い」の騒ぎを知ったのは、矢崎舎人の裁きがあって、十日ほど経ったのちのことであった。
それまでにも、甲斐には辛いことが続いていた。おと年(寛文五年)の夏、塩沢丹三郎が毒死し、去年の正月には茂庭周防に死なれた。周防が寝ついていた百余日、病床をみまったのは、僅かに三度だった。それも二度は他のみまい客といっしょで、まったく形式的な挨拶しかしなかった。ただいちど、独りでみまったときも、ほんの四半刻あまりしかいなかったし、そのときでさえも、深入りをした話しは、二人ともしなかった。
――話すことはないな。
――そう、話すことはない。
二人はお互いの眼でそう頷きあった。たしかに、口で話しあうことはもうなかった。周防の顔には、あとの事は甲斐が引受けてくれる、という安心の色があり、甲斐は大丈夫やってくれる、という信頼感があらわれていた。それを証明するように、周防はひと言だけ、先へいって済まない、という意味のことを、微笑しながら云った。
――なに、すぐ追いつくさ。
と甲斐は答えた。
――もうみまいに来るには及ばないぞ。
――そのつもりだ。
――これが別れだな。
――これが別れだ。
――笑うかもしれないが。
と周防が云った。
――おれがいまいちばん心配しているのは、うまく死ねればいいが、ということだ。
――自然のままがいい。
と甲斐が云った。
――うまく死のうとまずく死のうと、死ぬことに変りはないのさ。
周防は微笑し、じっと甲斐の眼をみつめながら、頷いた。
――ではこれで。
――では、……
それが、二人の会った、最後になった。
周防の死んだのは、正月十一日の朝で、前夜半から二度茂庭の家従から甲斐のもとへ、「危篤」の知らせがあり、甲斐は堀内惣左衛門を代理にやった。惣左衛門は夜明けまで、茂庭家に詰めていたが、臨終が近いといって、七時ころ、甲斐を迎えに来た。
ひと眼だけ、顔を見たい、と仰しゃっています。