一
「そういう高価なものは困りますよ、そちらの鮒を貰っておきましょう」
書庫へ本を取りにいった戻りにふとそういう妻の声をきいて、太宰は廊下の端にたちどまった。相手はいつも舟で小魚を売りに来る弥五という老漁夫らしい、「そんなことを仰しゃらないで買って下さいまし、こちらの旦那さまにあがって頂こうと思って、ほかの家の前を素通りして持って来たんですから」諄々とそういうのが聞えた。
「とにかく鮒なら貰います、よかったらいつもほど置いていらっしゃい」
「さようでございますか、あてにして来たんですがな、少しでも買って頂きたいんですが、値段だってこちらさまで高いと仰しゃるほどじゃあございませんでしょう」
老人はなおぶつぶつ云っていたが、間もなく、魚籠を担いで厨口の方から出て来た。そこから庭つづきに湖へ桟橋が架け出してある。その脇の枯蘆の汀にもやっている老人の小舟がみえた。
「おい弥五」太宰は廊下から呼びかけた、「今日はなにを持って来たのだ」
「ああ旦那さま」老人はびっくりして頬冠りをとった、「……なに珍らしくひがいが獲れたものですからね、御好物だと聞いたもんで持ってあがったんですが」
「それは久しぶりだな、どのくらいある」
「ほんの四五十もございますかね」
「みんな貰っておこう」妻のほうへ聞えるようにかれはそう云った、「……それから弥五、おまえ正月の鴨を持って来なかったようだがどうしたのだ」
「へえ、それはその、なんです」
老人は困ったような顔つきで、もじもじと厨口のほうを見やった。太宰はやっぱりそうかという気持で思わず声が高くなった。
「約束したら持って来なければだめではないか、もう手にはいるあてはないのか」
「あての無いこともございませんが、なにしろもう数が少のうございますでね」
「四五日うちに客があるからなんとか心配して呉れ、骨折り賃はだすから、いいか」
そう云って太宰は自分の居間へ戻った。