日本婦道記
本文約11,400字 ・ 読了時間 約23分
あらすじ(AIが作成しました)
将軍家綱が射た矢に彫られた「大願」の二字を端緒に、かつて切腹した家士の妻みよが、良人の遺志を継ぎ二十年の歳月をかけて子を育て上げた執念と献身が明らかになる。みよは苦難の中で良人の奉公をやり遂げるべく、息子を立派な武士に育て上げることを誓い、密かな祈りを込めて矢に銘を刻み続けた。その一途な武士の妻としての壮烈な生き様が、時を経て主君の心に届き、報われるまでを描く。
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一
矢はまっすぐに飛んだ、晩秋のよく晴れた日の午後で、空気は結晶体のようにきびしく澄みとおっている、矢はそのなかを、まるで光の糸を張ったように飛び、のあたりで小さな点になったとみると、こころよい音をたてて的につき立った。――やはりあの矢だ。家綱はそううなずきながら、的につき立った矢をしばらく見まもっていたが、やがて脇につくばっている扈従にふりかえって、
「そこにある矢をみなとってみせい」
といった、扈従の者が矢立に残っているのをすべて取ってさしだした。四本あった。かれはその筈巻の下にあたるところを一本ずつ丁寧にしらべてみた、すると、はたしてそのなかにも一本あった、筈巻の下のところに「大願」という二字が、ごく小さく銘のように彫りつけてある。いま射た矢にもそれがあった、去年あたりからときどきその矢にあたる、はじめは気づかなかったが、持ったときの重さや、弦をはなれるときの具合や、いかにもこころよい飛びざまなど、いろいろなよい条件がそろっているので、ああまたこの矢かと思いあたるようになった。矢にもずいぶん癖のあるものだが、それほどはっきりと性のそろったものはめずらしい、それでよく注意してみると、思いあたる矢にはきまったように「大願」という文字が彫りつけてあるのだった。
「たずねることがある、丹後をよんでまいれ、西尾丹後だ」
そう云って家綱は床几にかけた。扈従のひとりが走っていった。
御弓矢槍奉行の丹後守忠長はすぐに伺候した。家綱はまだ十九歳であるが、三代家光の濶達な気性をうけてうまれ、父に似てなかなか峻厳なところがおおかった。弓矢奉行などがじかに呼びつけられる例は稀なことなので、丹後守は叱責されるものと思ったのであろう、平伏した額のあたりは紙のように白かった。
「ゆるす、近う」
二度まで促されて膝行する丹後守に、家綱は持っていた一本の矢をわたした。
「その筈巻のすぐ下のところをみい、なにやら銘のような文字が彫ってある」
「はっ……」
「読めたか」
「はっ、仰せのごとく大願と彫りつけてあるかに覚えます」
「一年ほどまえより折おりにその矢をみる、どこから出たものか、いかなる者の作か、とり糺してまいれ」