一
「今日は、そんなものを着てゆくのか」
「はい」小間使の八重は、熨斗目麻裃を取り出していた。平三郎は、ぬうと立ったまま八重の手許を見まもる、彼にはなぜ礼服を着てゆくかがわからない。
「なにか今日は、式日だったのか」
「いいえ、お式日ではございません」
八重は礼服をきちんと揃える、それを脇へ直して扇筺を取る、蓋を開けてやはり式用の白扇を取り出し、それを礼服の上へ載せる。平三郎は八重のすばしこい手の動きを見ている。……少し寸の詰った、小さな、可愛い手である。然しその右手の小指の第二関節のところが、内側へ少し曲っているのが彼の眼を惹く。それは娘たちがなにか摘むときに小指だけ離して美しく曲げる、あの手の嬌態ほどの曲り方である。
「その指はどうかしたのか」
「どれでございますか」
「その右手の小指さ」
「まあ」八重は慌てたように、片方の手でその指を隠す、「……これは生れつきでございますの、いつぞや申し上げましたのに」
それから、揃えた礼服をひき寄せる。そこで平三郎はいま着たばかりの常着の、袴の紐を解こうとした。八重はおどろいて、それはその儘でよいこと、礼服は、挾箱へ入れて持ってゆくのだということを説明する。
「今日はお帰りに鹿島さまへお寄りなさるのですから、御下りのときこれをお召しあそばすのでございます」
「ああそうか」平三郎はにこっと笑う、「……あれは今日だったのか」
「お袴はいけませんですよ」八重は若い主人を見上げて戒めるような微笑をみせる、「……いつもとは違うのでございますからね」
そして膝ですり寄って、平三郎の袴の裾を揃え、軽くとんと下へ引き、襞を撫でてから、「さあ宜しゅうございます」といい、自分も礼服を抱えて立った。
父の新五兵衛は、もう先に出仕していた。母親と家扶に送られて家を出た平三郎は、小馬場の西をまわってゆきながら、「袴はいけない」と呟く。それから眼をあげて空を見る。よく晴れた冬の朝で高い高い碧空をなにかしらぬ鳥が渡っている、彼はゆっくりと御宝庫の向うにある自分の詰所へと歩いていった。