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TORENDIA

季節のない街

本文約200,300字 ・ 読了時間 約401分

あらすじ(AIが作成しました)

都会の片隅に位置する極貧の街で、日々の生活を送る人々を描く。架空の市電を運転し続ける六ちゃんや、その将来を案じる母親、個性的で孤独な住人たちの姿を通じて、彼らのささやかな喜びや悲しみ、人間臭い生活の営みを映し出す。本書は、作者が実際に見聞きした経験をもとに、極限の環境下で虚飾なく生きる人々の人間模様を多角的に描き出し、特定の場所や時代を超えた普遍的な人間性を綴る作品である。

山本周五郎

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街へゆく電車

その「街」へゆくのに一本の市電があった。ほかにも道は幾つかあるのだが、市電は一本しか通じていないし、それはレールもなく架線もなく、また車躰さえもないし、乗務員も運転手一人しかいないから、客は乗るわけにはいかないのであった。要するにその市電は、六ちゃんという運転手と、幾らかの備品を除いて、客観的にはすべてが架空のものだったのである。

運転手の六ちゃんは「街」の住人ではない。中通りと呼ばれる、ちょっとした繁華街に、母親のおくにさんと二人でくらしていた。父親はなかった。死んだのか別れたのか、その消息は誰も知らないが、ともかく父親を見た者はなかった。おくにさんは女手でてんぷら屋をいとなみ、六ちゃんと二人で肩身せまくくらしていた。――断わっておくが「てんぷら」屋といっても、じつは精進揚げのことである。

おくにさんは四十がらみで、顔も躯も肥えていた。眼にはあらゆる事物に対する不信と疑惑のいろを湛え、口は蛤のように固くむすばれ、いくらか茶色っぽいかみの毛は、油っけなしのひっ詰め髪に結われていた。

古い伊勢縞か、木綿の布子か、夏は洗いざらした浴衣に、白い割烹前掛をつけ、夏冬とおして衿に手拭を掛けていて、黙っててんぷらを揚げたり、客の応対をしたりするのであった。衿に掛けた手拭と、白い割烹前掛とが、喰べ物を扱う彼女の動作を、いかにも清潔らしく見せるように感じられた。

おくにさんは無口だった。客にもよけいなあいそは云わず、あたしの揚げるてんぷらの味が充分にあいそを云っている筈だ、と自負しているようなそぶりがちらちらした。――事実はそうでなく、絶えまなしに六ちゃんのことが気にかかり、絶えまなしにおそっさまの御利益や、奇蹟や、効験あらたかな祈祷師の噂などが、そのいくらか茶色っぽいかみの毛を油けなしでひっ詰め髪に結った頭の中で、せめぎあっていたのだ。

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