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TORENDIA

巴里のむす子へ

本文約2,200字 ・ 読了時間 約5分

あらすじ(AIが作成しました)

巴里へ渡り画業に励む息子への思慕、そして離れて暮らす母としての心境を綴る。六年という月日を経ても心は繋がっていると信じ、時折募る再会への切なる願いや、異国の地で成長し画壇で認められつつある息子への誇りを記す。また、芸術家一家という宿命を背負った親子が、それぞれの立場で芸術の道に殉じ、人間を開顕することの尊さを語り合う。離れていても互いの精神を鼓舞し合う親子の深い絆と、芸術に対する真摯な信念を描き出す。

岡本かの子

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🎧 巴里のむす子へ / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

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巴里の北の停車場でおまえと訣れてから、もう六年目になる。人は久しい歳月という。だが、私には永いのだか短いのだか判らない。あまりに日夜思い続ける私とおまえとの間には最早や直通の心の橋が出来ていて、歳月も距離も殆ど影響しないように感ぜられる。私たち二人は望みの時、その橋の上で出会うことが出来る。おまえはいつでも二十の青年のむす子で、私はいつでも稚純な母。「だらしがないな、羽織の襟が曲ってるよ、おかあさん、」「生意気いうよ、こどもの癖に、」二人は微笑して眺め合う。永劫の時間と空間は、その橋の下の風のように幽かに音を立てて吹き過ぎる。

二人の想いは宗教の神秘性にまで昂められている。恐らく生を更え死を更えても変るまい。だが、ふとしたことから、私は現実のおまえに気付かせられることがある。すると無暗に現実のおまえに会い度くなる。巴里が東京でないのが腹立たしくなる。

それはどういうときだというと、おまえに肖た青年の後姿を見たとき、おまえの家へ残して行った稽古用品や着古した着物が取出されるとき。それから、思いがけなく、まるで違ったものからでもおまえを連想させられる。ぼんの窪のちぢりっ毛や、の太い率直な声音、――これ等も打撃だ。こういうとき、私は強い衝動に駆られて、若し許さるるなら私は大声挙げて「タロー! タロー!」と野でも山でも叫び廻り度い気がする。それが出来ないばかりに、私は涙ぐんで蹲りながらおまえの歌を詠む。おまえがときどき「あんまり断片的の感想で、さっぱり判りませんね。もっと冷静に書いて寄越して下さい」と苦り切った手紙を寄越さなければならないほどの感情にあふれた走り書を私が郵送するのも多くそういうときである。だが、おまえが何といおうとも、私はこれからもおまえにああいう手紙を書き送る。何故ならば、それを止めることは私にとって生理的にも悪い。

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