一
「大変だあ大変だあ、頭いるか」
表からやみくもに跳込んできた安吉、お天気安という綽名のある若い者だ、――ちょうどいま上りっ端で、愛用の鳶口を磨いていたは組の火消し頭佐兵衛、
「ええ騒々しいや、頭アいるかって眼の前にいるおいらが見えねえのか」
「ほ、まったくそうだ」
「呆けてやがる、なにが大変だ」
「なにがって落着いてちゃあいけねえ、は組の若い者が全滅だ」
「この野郎、云うにこと欠いては組の若い者が全滅たあなんだ、貘がおとといの夢を吐きゃあしめえし、途轍もねえことをほざくと向う脛をかっ払うぞ」
「嘘じゃねえ、まったくの話だ」
お天気安は眼を白黒させながら、
「なにしろ頭、井杉灘屋で浪人者が暴れてたんだ、そこへ辰兄哥が通りかかったもんだから、よしゃいいのに例の調子で停めにはいった」
「なにを云いやがる、町内の紛擾に口をきくなあおれっちの役目の内だ、それでどうした」
「するてえと浪人者がはたして怒った」
「なにがはたしてだ」
「いきなり大刀を抜くてえと、真向から辰兄哥をばらりずんと斬り放した」
「――野郎」
というと佐兵衛も気が早い、いま磨いていた鳶口を持直すなり、ぱっと表へ跳び出した。――横丁を大通りへ出ると四辻の二、三軒手前に井杉灘屋という居酒店がある。その店先に黒山のような人集りがしていた。
「やあ退いた退いた、邪魔だ邪魔だ」
人混を掻分けて店へ踏みこむ、――血まみれの辰次がのたうちまわっているか、と気もそぞろに飛んできた、佐兵衛の眼前に展開したのは、なんと! 辰次はしゃっきりとして、あべこべに酔倒れている浪人者をせっせと介抱している。
「おう辰、おめえ無事だったか」
「こりゃあ頭いいところへきておくんなすった、蜆河岸の道場にいた仁木先生ですぜ」
「なんだと?」
「安吉をつれて風呂へいった帰りに、通りかかるとここで浪人者が暴れているんで、停めにへえってみたら、びっくりしましたぜ、三年めえに道場を出たまんま行衛の知れねえ仁木先生なんで」
「そいつぁあ仰天だ」
と佐兵衛が覗きこんだ、――尾羽うち枯らした装風俗、月代も髭もぼうぼうに伸びているが、まさしく仁木兵馬である。