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TORENDIA

年の瀬の音

本文約2,200字 ・ 読了時間 約5分

あらすじ(AIが作成しました)

十二月の街を歩く中で出会った、貧しく疲弊した母子、雨の中を赤子を背負って彷徨う男、そして師走の喧騒から超然と歩く紳士と子犬の姿を描く。著者は、時を刻む音に追われるような切迫感に満ちた年末の風景を綴り、街に溢れる商戦の気配や生活の悲哀を背景に、自身の心境を投影させる。あわただしい日常の中で人間生活のもろさやはかなさを鋭く捉え、世の中の縮図ともいえる師走の光景を通じ、年末特有の心理的な圧迫感や生きる様相を克明に記録した随筆である。

山本周五郎

速度
🎧 年の瀬の音 / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

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十二月になると一日一日に時を刻む音が聞えるようである。ほかの月にはこんなことはないし、そんな感じのすることがあっても、十二月のそれほど脅迫感はない。いまこの原稿を書いていながら、私は現実にその時を刻む音を聞きその音の速度の早さと威かく(嚇)とに身のちぢむのを覚えているのである。

ひるめしを食べに出て、市電で仕事場へ帰る途中、私の前へ若い人妻が立った。背中に赤児を背負い、五歳くらいの女の子をつれている。人妻は二十六か七、色のさめた赤いセーターにネズミ色のラシャのスカート。ウエーブの伸びた髪毛が乱れて、細おもての青ざめた顔はこわばり、みけん(眉間)には疲れたような、神経質なしわが深く刻まれている。おちつきを失なった眼は絶望した人のように、するどく一点をみつめていた。女の子は片手で母親のスカートにつかまり、片手に半分を紙で包んだキャンデーを持っていて、それをしゃぶりながら母に呼びかけるのであった。

「かあちゃん、おばちゃんに会えてよかったね、ねえかあちゃん」

若い母親は一点をみつめたまま答えない。「かあちゃん」とまた女の子は呼びかける「ねえ、おばちゃんがうちにいてよかったね」、ねえとスカートを引張る。すると若い母親は邪険にスカートを振り放して、うるさいね、と邪険にいうのであった。

「うるさいね、黙っといでよ」おばちゃんがその母子とどういう関係の人であるかむろんわからない。若い母親は赤児を背負い、幼ない子をつれて「おばちゃん」を訪ねていったのである。おばちゃんはうちにいたし、彼女たちはおばちゃんに会った。女の子にはそれは「よかった」のである。しかしその若い母親にはよくはなかったらしい――十二月。私はここで自分の想像を組み立てようとは思わない。この母子の短かい対話そのものが、疑問の余地のないほどあからさまに事情を語っているのであって、しかも十二月であるということは、こちらにとって心臓へあいくちを突込まれるかに似た思いを致させられるのである。

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