叛骨・中野正剛
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あらすじ(AIが作成しました)
中野正剛と永井柳太郎は、大正九年の第四十三特別議会において鮮烈な処女演説を行い、当時の政治状況に新風を吹き込んだ。本書は、情熱と知性の葛藤を抱えながら、政治を志したものの権力よりも義を求めた中野の生涯を描く。著者である尾崎士郎は、学生時代に仰ぎ見た豪放闊達な中野の姿や、対照的な存在である永井との共通点に触れつつ、政治の岐路に立つたびに東西古今の英雄と対話を重ねた修道者のようなその精神世界を詳述する。
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年譜によると、中野正剛が、衆議院議員に初当選したのは大正九年五月だった。議会における処女演説が、新人政治家としての彼の存在に鮮烈な印象をあたえたのは、同じ年の七月に召集された第四十三特別議会である。
このとき、中野と時を同うして初当選し、同じ議会で処女演説を行ったのが彼と同門の早稲田出身である永井柳太郎であったことが、両者の後輩である私の心に深い感銘を残している。
このとき、永井は四十歳、中野は三十五歳であるから、年齢には相当の開きがあったとはいえ、両者ともに一般民衆の心に青春の象徴というかんじをあたえたことだけは確かである。
永井柳太郎に私淑して少年の一時期を過した私は、中学時代から、偶然の機縁で相識の間柄であったが、この両者に対する魅力は、過ぐる年、入幕当時の好敵手、柏戸、大鵬という表現が、もっとも適当しているようである。
対蹠的な好敵手 大正九年であるから、私は二十三歳で、学籍はまだ早稲田大学に置いていた。
時の内閣総理大臣は原敬であるから、もちろん政友会内閣であるが、この二人を迎えた議会が急に明るい輝きを加えたことは、ひとり私だけの感慨ではない。私が早稲田の学生時代に、永井はすでに教授であったが、中野は大先輩とはいえ、やっと東京日日新聞(現在の毎日新聞)に入社したばかりのときだった。
私の頭の中では、現在もそうであるが、その頃から、時代的に対立する二つの花やかな人間像としてうかんでくる。
永井は、明治四十一年、オックスフォード大学留学中(二十八歳)に片足を切断したが、中野もまた大正十五年、左足の整形手術を誤って隻脚となった。学生時代の中野の声名が、私たちの予科生(現在の高等学校)時代においても、全校を圧倒していたのは、彼の人間内容や、識見抱負よりも、むしろ柔道の選手としてであった。あの頃、日本の柔道界に不世出の存在として知られ、しばしば暴力沙汰を起して儕輩のあいだに畏怖と敬遠の的にされていた徳三宝との試合に勝ったということが、中野に対する人気を湧き立たせたのは当然であろう。