人間か河童か? 海底を歩く怪物
いまどき河童がいるなどと云っても、おそらく本当と思う者はないだろう。
まだ河童というものが一ぱんに信じられ、絵にかかれたり、まことしやかな物語としてつたえられた時代にも、多少の知識をもった人々は、架空のことと笑ってかえりみなかったのである。――それが現代の、しかも帝都のまんなかに出現したのだから、世間の耳目をいかにおどろかしたかは想像のほかであった。
第一の事件は五月十二日におこった。
京橋越前堀の河岸に「島屋」という雑貨店がある。午後十時ごろのことで、若い店員が店をしめようとしていると、一人の客が店先に近よってきて、
「ちょっと君、缶詰をくれないか」と云った。
その日は朝からいい天気であったのに、見るとその男は、護謨びきの雨外套を着て、しかもそれがぐっしょり濡れている。おまけに長くのびた髪の毛が額のうえにたれさがり、そのあいだから、眼だけがぎらぎら光っていた。
気味の悪い男だなと店員は思った。
「缶詰はなにをさし上げますか」
「果物だ、早くしてくれ」
「果物と云ってもいろいろありますが……」
そう云うと、客はいきなり両手をあげて妙な身ぶりをした。それは空気をひっ掻くような、またなにか宙にあるものをひきるような、えたいの知れない身ぶりだったと云う。……そして呼吸でも詰るのかと思えるような、ひどくかすれた苦しい声で、
「なんでもいいから早く。桃でも、林檎でもなんでもいいんだ。早くしてくれ」
と荒々しく叫び、びっくりした店員が飾棚の方へ行きかけると、
「ああもう駄目だ。間にあわん」と叫んだまま、くるりと背を向けて走りだした。――店員があっけにとられて見送っていると、その男は道を横切って、河岸の荷揚場の方へ走ってゆく。
――あっ! 川へ落ちる。
と思った店員は、我知らず店をとび出していった。……そして驚くべきことを見た。