城を守る者
本文約9,200字 ・ 読了時間 約19分
あらすじ(AIが作成しました)
越後春日山城主・上杉謙信が信濃出陣を決した際、四家老のひとり千坂対馬清胤は留守城番を自ら志願する。周囲や長男の通胤は、戦功を避ける卑怯な振る舞いとして冷ややかな視線を向け、清胤は不評を一身に浴びる。しかし、荒地開墾や物資の管理という清胤の専横に見えた行動の真意は、謙信不在を狙う謀叛の兆候に備えるための周到な準備であった。父の真実を知った通胤は、その信念を深く理解し、武士としての矜持を共有する。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
💰 この本を応援する(投げ銭)
一
「甲斐のはるのぶと槍を合せることすでに三たび、いちどはわが太刀をもって、晴信を死地に追いつめながら、いまひと打ちをし損じて惜しくものがした」
上杉輝虎は、けいけいたる双眸でいち座を見まわしながら、大きく組んだよろい直垂の膝を、はたと扇で打った。
「だが、このたびこそは、勝敗を決しなければならぬ。うちつづく合戦で民のちからは衰え、兵もまた労れた。いたずらに甲斐との対陣をながびかすときは、思わぬ禍が足下からおこるとみなければならぬ。善くも悪くも、このたびこそは決戦のときだ、このたびこそは勝敗を決するのだ」
かれの声は、館の四壁をふるわして響きわたった。
弘治三年(一五五七)七月、越後のくに春日山の城中では、いま領主うえすぎ謙信を首座として、信濃へ出陣の軍議がひらかれていた。集っているのは上杉の四家老、長尾越前政景、石川備後為元、斎藤下野朝信、千坂対馬清胤をはじめ、二十五将とよばれるはたもと帷握の人々であった。……上杉と武田との確執について、ここに精しく記す要はあるまい。「川中島合戦」といわれる両家の争いは天文二十二年(一五五三)から永禄七年(一五六四)まで、十年余日にわたってくりかえされたものであるが、このときはその四たび目の合戦に当面していたのである。
「さればこのたびは全軍進発ときめた」
輝虎はつづけて云った。
「留守城の番はいちにん、兵は五百、余はあげて信濃へ出陣をする。したがって留守城番に誰を置くかということは」
「申上げます」
とつぜん声をあげて、石川備後が座をすすめた。
「仰せなかばながら、わたくしは信濃へお供をつかまつりまするぞ。留守番役はかたくお断わり申します」
「越前めも、留守役はごめんを蒙ります」
長尾越前がおくれじと云った。するとそれにつづいて列座の人々がわれもわれもと出陣の供を主張し、留守城番を断わると云いだした。もっとも善かれ悪かれ決戦ときめた戦である、誰にしてもこの合戦におくれることはできないにちがいない。みんな肩肱を張って侃々とののしり叫んだ。
輝虎はだまっていた。いつまでもだまっているので、やがて人々はだんだんとしずまり、ついにはみんなひっそりと音をひそめた。