人工衛星へ汲取舟が行く話
本文約710字 ・ 読了時間 約2分
あらすじ(AIが作成しました)
人間が居住する人工衛星において発生する排泄物の処理問題について論じる。重力のない軌道上で不要物を廃棄することの困難さを指摘し、宇宙塵の発生や流星となる廃棄物の影響を考慮した上で、補給船を利用して地球へ持ち帰る汲取舟としての活用が現実的であると説く。宇宙時代においてもなお不可欠となる人間の営みとしての排泄処理のあり方を考察する。
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本当に人間が住める人工衛星が、いつごろ出来るかは、いまのところまだわからない。しかし十年ぐらいのうちには出来るだろうというのが、一般の見通しになっている。数年の誤差はあっても、いずれ出来るには、ちがいない
ところでそうなった時に、一番困るのは排泄物の処理である。小便の方は再生して純水をとり、それを水として使うとしても、カスが出る。それと大便とは、何とかして捨てなければならないが、人工衛星の軌道の上では捨てるところがない。
重力のないところでは、ものを捨てても、そのままいつまでも目の前に浮いている。そんなものがいつまでも窓の外に浮いていられては困る。爆薬をしこんで、外で爆発させても、そのチリは軌道に近いところを宇宙塵となって回ることであろう。地球のまわりに、そんなもので「土星の環」ができるのは、どうもありがたくない。
それでは小さいドラムかんにつめて、小型ロケットをつけて放り出し、軌道速度と逆の方向に噴射させたらということも考えられる。そうすれば速度が落ちるので、ドラムかんは軌道をはずれ、地球に向って落ちてゆく。そして大気圏にはいると、流星となって燃えてしまう。これもどうも、何となく後味の悪い案である。中秋の明月の晩、月をめでていると、スーッと流星がとぶ、これがあれだと思うと、月見の宴もだいぶ興がそがれるであろう。
一番よいのは、地球へもって帰って捨てる案である。どうせいろいろな物資を補給するための宇宙ボートが、人工衛星へものを届けるにちがいない。その帰りに持って帰ってもらうのが一番簡単である。帰りは汲取舟になるわけである。
宇宙時代になっても、やはり汲取舟は必要だというのが、人間なのである。(昭和三十二年十二月)
完
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