TRENDIA CLASSIC

からっぽの箪笥

山本周五郎

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男というものは、ときどき「おれはこんなばかな人間だったのか」と思って冷汗をかくものだ。男と言っては悪いかもしれない、私と言い直さなければならないかもしれないが、いまでもほぞを噛みたいような思い出が、私の半生には幾十百たびとなくあった。その中の一例をここで告白するわけだが、――戦後まもなく、かすとり焼酎さかんなりしころ、私は大森から横浜へ移って、ろくさま仕事もせず、訪ねて来る若い記者諸君と酒浸り(もちろんかすとり浸りの意味)になっていた。

当時は大学校の創立と覇をきそうかの如く、雑誌社や出版社が乱立し、およそ原稿用紙に字の書ける人士なら、老若賢愚の差別なく追いまわされ、巨額な稿料印税でふところを肥大させたようである。私のように無能な末輩のところへも、ときたま(なにを勘ちがいしてか)そういう記者諸氏が来訪されたし、中には高額な原稿料を提供することによって知られた、新興数社の紳士もあったが、すると私は、いっしょに飲んでいる若い記者諸君に眼くばせをし、ほぼ次のような問答をとり交わしてたのしむのであった。

紳士、――私の社では原稿一枚についてしかじかの(金額)額をお払い致します。

私、――ほう(嬉しそうな顔をする)それは有難いですな、それは(ここで物欲しそうな眼つきをする)しかしねえ、そこでもうちょっと、つまりこれこれ(金額)ぐらい高くしてもらえませんかねえ。

紳士、――これこれですか(仔細らしく横眼などを使う)ふむ、そうですね、一存ではいきませんが、たぶんいいでしょう(たいてい太っ腹をみせようとする)いや、大丈夫お出しできると思います。

私、――有難いですな、それは有難い(ここでおそるおそる相手を見る)それで、締切はいつごろですか。

紳士、――来月五日です。

私、――なんですか(聞きとれなかったふうをする)ぼくは締切をうかがっているんですがね。

紳士、――ですから来月の五日ですよ。

私、――来月五日、今年のですか。

紳士、――むろん今年の来月五日です。

私、――それはむりだ(溜息をついてみせる)いきなり来てそんな極端なことを言われてもだめです、それは全然むりですよ。

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