TRENDIA CLASSIC

酒屋の夜逃げ

山本周五郎

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こういう題をみると、人びと――少なくとも酒呑みに属する人びとは膝を乗り出すだろうと思う。

嘘ではない。こちらが勘定を溜めたあげく、面目なさに逃げたのではなく勘定を溜められた側の、すなわち債権者であるところの酒屋のほうで夜逃げをしたのである。

もちろん、約二十年まえ、大森の馬込にいた頃のことで、その酒屋は「三河屋」といい、聞くところによると、当時その付近に住んでいた作家や画家諸氏がずっとひいきにしていたようであった。

その三河屋のまえ、私が馬込で初めて家を持ったときは「大和屋」という酒屋が来ていた。これは馬込での出世がしらだと今井達夫が言っていたし、天神坂という坂の下の、小さなバラック建ての店にもかかわらず、電話を持っていた。ところが、私のところへ来るじぶんには、出世がしらという概念からは遠く、すでに左前になっていたものでしょう。小僧もいなくなって自分で御用聞きに来るのであるが、鼻唄をうたいながら勝手口まで来て、その唄が終るまでは戸口の外に立っているのである。なになにがどうとかして、泣いてくれるなよー、とうたい終るまで立っており、それから初めて「ちわあ」というぐあいなのである。そして私が散歩にでかけると、丘の上の草原に寝ころがっているのをしばしば見た。こういうとなにか深刻な人生問題にでも悩んでいたかのように思われそうだが、じつは極めて単純な怠け者というにすぎなかったのだ。それはその後のなりゆきが明らかに証拠立てているし、いや、――そんなことはどっちでもいい、私は「三河屋」のことを話したいのだ。

私はおよそ怠け者が嫌いである。これは自分が怠け者だから、他人に怠けられるのがいやなためだろうと思うが大和屋にはあいそをつかして、丘の上の三河屋に切替えた。

三河屋の主人は四十五六だったでしょう、痩せた小柄な躯つきで、酒焼けのした色の黒い顔に、下町の鳶の親方といったふうな、ちょっとした苦みばしった感じがあり、あいそ笑いをすると白い歯が見えた。私は東京の銀座裏で育ったが、下町にはよくみかける、いかにも酒屋のおやじらしいおやじであいそ笑いも世辞の口ぶりも、さっぱりとして歯切れがよかった。

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