酒・杯・徳利
本文約4,000字 ・ 読了時間 約8分
あらすじ(AIが作成しました)
貧困な漁村の廃屋で、青年は寒さに震えながら傑作の執筆に打ち込む。乏しい酒を煽り、芸術への純粋な情熱を糧に執筆の喜びを感じる。五年後、青年は家族を養うために通俗的な作品を書き、かつての夢を失いつつある現実に苦しむ。満たされた環境で暮らす自身の姿を夢であると否定し、かつての情熱が宿る廃屋の記憶を反芻しながら、自己の変貌と生活の重圧に苛まれる姿を描く。
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荒廃した田舎家の中だ。
半漁半農の村だから、数年前までは恐らく一番貧しい漁夫の棲家だったに相違ない。藁葺屋根はなかば腐れ、荒木田の壁は崩れ、天井板も柱も黒く煤け、二段になっている造り付けの戸納の戸は欠け、畳はみるかげもなく脆けて、歩くたびに床板の軋む音がする。
部屋はひと間きりない、土間が広くとってあるのは、以前そこに竈を据えたり、漁具を置いたり、雨降りのとき子供の遊び場にしたりしたものであろう、今はその隅に罅のいった焜※[#「火+慮」、U+7208、154-8]と[#「焜※[#「火+慮」、U+7208、154-8]と」はママ]土鍋とバケツと、みじめな釣り道具とが置いてある。部屋の上框には障子がないので、広い土間から直に雨戸だ、その雨戸も欠けたり釘が抜けたりしているので、風は自由に吹き通るし、月明りの窺うにも不便はない。
夜半である。
燭光の弱い電燈が、壁に近くひとつぼんやりと光っている。光を辿ってゆくと大きな手製の書架がある、五つ並んでいるがいずれも乱雑に書冊で埋まっている、脆けた畳の上にも、腰高窓の障子のない敷居の上にも、手当たり次第に投げ出したままの書物が始末しようのないほど散らばっている。大きな、畳一帖ほどもある書きもの机が、書架と書架との間にあって、一人の貧相な青年が、せっせと何か書いている。部屋の中も同様に机の上も混乱している、書き損じの紙をまるめたのが、屑籠をぶちまけたようにころがっていて、雨戸から風が吹き込んで来るたびにかさこそと音を立てる。
青年はふとペンを措いて、右側にある大きな安物の瀬戸の火鉢へ手をかざした。節くれだった指はぶざまにインクに汚れ、寒気のために凍えてふるふると顫えている。火鉢には小さなニュームの鍋がかかっていて、さっきから温たかい湯気をたて、鮒をる味噌の匂いをいっぱいに部屋へまきちらしている。
「さて――」
と青年は呟いた。そして手を火鉢へかざしたまま、頭をめぐらせて荒凉たる部屋の内を見廻わした。何もない――、一瞬、青年の眼に絶望の色が表われた。
「ああ、何ということだ、何も見えない、寒い、がらん洞だ、何も聞こえない」