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TORENDIA

矢押の樋

本文約14,300字 ・ 読了時間 約29分

あらすじ(AIが作成しました)

天候不順で飢饉に瀕した向田藩は、藩内の窮乏を救うため、江戸で買付けの交渉にあたっていた矢押監物を失う。留守を預かる弟の梶之助は、藩内の悪評を一身に受けながらも、城内の貯水を利用して農村に水を引くため、独断で内濠の石垣を切崩す荒技に出る。梶之助は石垣崩落の危機の中で一族の矜持を貫き、自らの命を犠牲にして村々を潤す大樋を完成させることで、絶望していた農民に新たな希望を与えて騒動を鎮める。

山本周五郎

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一

「あれはなんだ、衣類のようではないか」

外村重太夫は扇子で陽を除けながら、立停って顎をしゃくった。城の内濠の土堤の上に、衣服と大小がひと束ねにして置いてある、六月早朝の大場は、ぎらぎらと刺すような烈しい光を射かけているが、まだ四方には人の姿も見えない刻限だった。

「加兵衛、此処へ持って来てみい」

「はっ」

供の者が直ぐに登って、衣服と大小を抱えて来た。……すると、それをみつけたのであろう、土堤の向うから慌てて呶鳴る者があった。

「おい、それを持って行っては困るぞ、持主は此処にいるんだ、返して呉れ」

「……誰かおります」

加兵衛が窺うように見上げると、重太夫は身軽に土堤へ登って行った。……内濠の水面にぽかりと頭を浮かして、一人の若侍が泳いでいるところだった。顎骨の張った、眉の太い眼の大きな、そして全体にどこか剽軽た印象を与える顔だちをしていた。

「不届者、なにをしておる」

重太夫が大声に叫ぶと、若者はあっと大きく眼を瞠った、相手が勘定奉行だということを認めたらしい、ひょいと頭を下げるような身振をしたと思うと、そのままずぶりと水の中へ潜ってしまった。土堤の上から濠の水際までは急斜面で二十尺ほどもある、だから重太夫の立っている場所からは、広い濠の水面が隅々まで一望だった、それにも拘らず、いちど水中へ沈んだ若者はなかなか浮上って来なかった。

――何処かで見たことのある顔だ。

そう思いながらなお暫く待っていたが、早出仕を控えているので、やがて重太夫は土堤を下りた。

「儂は独りでまいるから、其方は此処で見張っておれ、誰の組で名はなんと申すか、確と取糺して来るのだ」

「畏りました」

「慥めるまで衣類を渡してはならんぞ」

念を押して置いて重太夫は登城した。

彼が役部屋へ入ると、既に出仕していた蔵方の長谷伊右衛門が、待兼ねたように、一通の書状を手にして側へ来た。……重太夫はそれが、数日来待っていた大坂蔵屋敷からの書状だということを直ぐに察した。そして伊右衛門の眼色が明かに、書面の不首尾を語っているのをも見さなかった。

「どう申して来た、矢張りいかぬか」

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