TRENDIA CLASSIC

しぐれ傘

山本周五郎

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鯉の宗七

佐野屋藤吉は、女房の酌で朝酒を呑んでいた。

いつも四、五杯で機嫌よく酔うのが、今朝はもう二本めをあけようとしているのに、髭の剃跡の青い固肥りのした顔は妙に冴えて、「眼玉の藤吉」と綽名のついている大きな両眼は、さっきから店の方を睨んではぎらぎら光っていた。

「なんだ、もう無えのか」

「あがるんですか」

「もう一本つけてくれ。いいからつけてくれ。なんだか酔いそびれて踏んぎりがつかなくっていけねえ」

女房のおかねは気遣わしそうに、亭主の横顔をそっと見た。

むっつりと、変に気の詰った調子で三本めを呑み始めると間もなく、弟子の六造がやって来た。

「親方、川口町が見えました」

「此処へ通してくれ」

そう云って藤吉は、女房に振り返った。

「おめえ二階へ行っていねえ」

「だって親方」

「いけねえ、おめえに側から口出しをされちゃあ話の筋が通らねえ、行っててくれ」

「では外しましょう、けれど親方」

おかねは素直に立ちながら「宗七はあの通りの気質で口下手だから、頭ごなしに叱っちゃあ駄目ですよ、あれにもなにか考えのあることでしょうから……」

「それが余計なことだと云うんだ、いいから行きねえ」

藤吉は手酌で酒を注いだ。

おかねが二階へ去ると、入れ違いに、二十七、八になる若者が入って来た。……色の褪めた紺縞木綿の袷に、やまのいった小倉の帯を緊めている。額の広い顎の張った逞しい顔だが、ひどく蒼白めていて、ひと口に云うと、極度の神経消耗を思わせるが、その眼だけは深く潜んだ鋭い意力を湛えていた。

名は宗七、今江戸で鯉の木彫の名人と呼ばれている男だ。……口重に挨拶をして、

「唯今はお使いでございましたが」

「ちょいと話があって来て貰った。手間を欠かして済まなかったな」

「いえなに、このところ暫くぶらぶらしているものですから」

「そうか遊んでるのか」

「遊んでるという訳でもありませんが」

「まあいいや、ひとつどうだ」

藤吉は盃を洗って差出した。

「有難うございますが、実は断っているもんですから……どうか」

「断っている? へええ、なにか願掛けか」

「なに……願というほどのことでもありませんが」

藤吉は黙って手酌で一杯呷った。

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