断酒病 アルコール依存症より怖い、断酒人生
TRENDIA

断酒病 アルコール依存症より怖い、断酒人生

鹿島公胤

1 / 254

はじめに

酒を飲むことが病気だという。だから、酒をやめる。酒をやめれば健康になる。酒をやめれば人生が変わる。酒をやめれば幸せになれる。本当に、そうだろうか。

私は、別の疑問を持っている。酒をやめること自体が、新しい病気になってはいないか。酒を飲まないことを毎日確認し、酒を飲む人間を否定し、一滴の酒を恐れ、「今日も飲まなかった」と自分に言い聞かせる。いつの間にか人生の中心にあるのは、酒ではなく「断酒」になっている。酒に支配されていた人生から逃げたはずなのに、今度は断酒に支配されている。それは、本当に自由なのだろうか。

私はその状態を、「断酒病」と呼びたい。アルコール依存症より怖いもの。それは、断酒することが人生そのものになってしまうことだ。

断酒会やAAという場所を思い浮かべてみてほしい。そこには、人生を立て直すために酒をやめた人間が集まっている。その決断そのものは、素晴らしいものだ。ところが、その集まりの中で交わされる会話に、しばらく耳を傾けてみると、一つのことに気づく。「今日で断酒何日目だ」「あの店にはもう行かない」「あいつはまだ飲んでいるらしい」――何年経っても、話題の中心にあるのは酒のことである。酒をやめたはずなのに、その人たちの頭の中には、相変わらず酒が住み続けているように見えることがある。

一方で、まったく別の姿もある。かつて酒に振り回されていた人間が、何年もかけて少しずつ、酒について語らなくなっていく。断酒何年、という数字を誇ることもなく、酒をやめた経験を懐かしそうに語ることはあっても、それが会話の中心を占めることはない。むしろ、仕事の話、家族の話、これから挑戦したいことの話――そういう、ごく普通の話題で笑っている。同じ「酒をやめた人間」でありながら、この二つの姿はまったく違う場所に立っているように見える。前者は、まだ酒という檻の中にいる。後者は、いつのまにかその檻から出て、自分の足で歩いている。この違いは、いったい何によって生まれるのだろうか。それを考え続けた末に浮かんできたのが、「断酒病」という言葉だった。

鹿島公胤の他の作品